マラドーナとプレーした男のこだわり
アルゼンチンの名門クラブであるボカ・ジュニアーズでプレー経験があり、マラドーナとのプレー経験もある亘崇詞さん。現在は日本女子サッカーリーグに所属している岡山湯郷BelleのGM兼監督を務めている。「アルゼンチンではどんなスパイクを履いていたのか?」など興味深い話を聞かせて頂いた。
小池菊池
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2020/01/31
ーーまず、アルゼンチンに行かれたきっかけを教えてください。
亘:僕は岡山県に生まれましたが、当時はプロリーグがなかったので15歳の時に「ブラジルに行きたい」と岡山県北にある湯郷のゴルフ場、新聞配達などで貯めたお金をもとに親に言いました。
危ないからと大反対されましたが、「アルゼンチンは南米のパリと呼ばれていて危なくない」と親に言ってくれた近所の人のアシストもあり、なんとかアルゼンチンへ行くことに。
元々マラドーナのことが好きでしたし、いつかブラジルにも行けると思い、 17歳の時に初の海外旅行でアルゼンチンに行きました。
ーーアルゼンチンでは、はじめからボカ・ジュニアーズ(以下はボカと表記)に入ったんでしたっけ?
亘:いやいや、色んなチームにテストを受けに行き、ボカのユースチームに入りました。ボカは人気チームだから育成があまりしっかりしていなかったので、入るチャンスがあったんです。
今は育成が凄いですが、当時は他のチームから選手を獲得するのがメインだったんです。地方リーグにレンタルされ結果を出し、チャンスをくれたのがボカでした。
ーーボカに入れたのは凄いです!
亘:今でこそ世界的にも人気のあるクラブになりましたが、当時は岡山県で親が「アルゼンチンのボカというチームに息子が入れた」と言ってまわっても誰も知らないようなクラブでした。
今は多くの日本人選手が海外で活躍していますが、プロになる!というよりは、まずサッカー大国の南米でサッカーを体感してみたかったんです。
ーーその時にどんなスパイクを履いてましたか?
亘:中学生の時からプーマです。僕はそんなにお金がなかったので、プーマのレナトやボルシアというスパイクを履いていました。
当時の日本代表選手やマラドーナさんが履いていたものに似ていて、安いものを憧れで履いていましたよ。
あとはキャプテン翼に憧れてアディダスのブンデスリーガシリーズを履いたこともあります。
僕らの時代はどこのメーカーでもベロが異様に長くて、ベロを折って使うスパイクを使ってましたよ。
アルゼンチンで行ったクラブでマラドーナさんが練習に来ると、どんなスパイクを履いてるのかメチャクチャ見ていました。
ーーマラドーナと一緒にプレーした経験があるのは物凄いです。
亘:マラドーナさんは晩年にミズノのモレリアを履いてましたからね。ナポリで一緒にプレーされたカレッカに影響されたのでしょう。それと、日本では26.5cmを履いていると言われていましたが、彼は25.5cmのミズノを履いていました!
ーーマラドーナの足のサイズも含めて、亘さんしか知らないような話で興味深いです。他に記憶に残っている素晴らしいスパイクはありますか?
亘:30年くらい前にあったベルトマイスターが今あったら、みんな履くと思いますよ。それくらい完成品なんですよ。コパムンディアルも。
時代を超えて履けるので、それらを作ったドイツ人は凄いと思いますよ。
ーーいつの時代でも愛される最高のスパイクですね。
亘:僕らがプレーしていた時代の南米では、どのメーカーのスパイクでもベロが長いのがカッコいいというのが当時の特徴でしたね。ベロが短いスパイクでも長く見せようとして、ベロを強く引っ張ると、スパイクから取れてしまっていた南米の選手は多かったです(笑)
ボカのユースの時にはボカのサプライヤーがアディダスでしたので、皮が硬く使い古された、アディダスのスパイクをまず貸してくれました。サテライトになったらエトルスコというスパイクを支給してくれました。
トップチームに上がったらTopperを履いている選手からお下がりをもらって、ベロがでっかいシューズを履いていました。
マラドーナさんを何度か見かけましたが、ミズノ・アディダス・ナイキ・マラドーナ10というメーカーもありましたが、何を履いてもマラドーナ結び、そしてベロを引っ張ってパタパタしてるイメージは変わりませんね。その中でも、Topperは最強でした。
ーースパイク以外にギアで何か面白かった話はありますか?
亘:成功すればするほど、バックが小さくなっていくんですよ。
ーーどういうことですか?
亘:ユースの時にはドラムバックなんです。タオル、着替え、ユニホーム、スパイクなどを全部入れて練習に通います。
サテライトに上がったら用具係が荷物を預かってくれるんです。スパイクもクラブハウスに置かせてくれるし、磨いてくれるんですよ。タオルも出してくれるので、小さいバックで練習に行けます。
そのあとシューズバックぐらいになって、そしてプロ(トップ)に上がるとポーチになるんですよ。よくレアルやバルサの選手がブランド物のポーチを持ってるじゃないですか。
リュックサックではなくて、メッシもビダルもカバーニもアメニティーポーチです!
あれはサッカー選手のステータスなんですよ。 ポーチには香水とスマホ、整髪料を入れるくらいです。用具係はパンツまで用意してくれるんですよ。
ーーバックの大きさを見たらどのレベルの選手かわかるんですね。
亘:ドラムバックからどんどん小さくなっていくのが嬉しかったんですよ。
ーー話は変わりますが、サッカー選手を引退された後はどうしたんですか?セカンドキャリアなどは現役のうちから考えてましたか?
亘:全く考えていなくて。今考えるとゾッとしますが、日本に帰ってきて何して良いか本当にわからなかったんです。
そんな中、1番はじめにしたのは一日サッカー教室の手伝いでした。メーカーさんや著名人のサッカー教室の手伝いをさせて頂きました。当時はリフティングを見せたり、色んな方が助けてくれて、どうにか生活していました。
JFLの2チームでプレーし、C級・B級のコーチライセンスを取得しました。サッカーをやって、仕事を紹介してくれて資格も取れたおかげで今もサッカーに携われています。
ーー(JFLの2チームで)選手に復帰されたんですね!
亘:人生ヤバいかもと思いました。はじめ(アルゼンチンへ行く前)に就職した岡山の会社でずっと働いていれば良かったかもとさえ思いました。
よく考えたら、その1年間で資格を取ってたんですよ。酸素欠乏作業主任者、有機溶剤作業主任者、 特定化学物質等作業主任者とかやたら1年で取ってたんです。
乙種も持っていて主任になれることもわかり、最悪これがあると思ったら結構チャレンジできたんですよ。
37歳までプレーしながら南米サッカーを伝える仕事をさせていただき、東京ヴェルディのスクールコーチから本格的に指導者の道に進むことになりました。
資格などは持っていた方が、積極的に進みたい道にチャレンジできるよということは選手に伝えたいですね。
――今回、岡山湯郷Belleとパソナ岡山がパートナーシップを結び、選手のキャリア支援をすることになりましたが、どんな期待をしていますか?
亘:選手は日中に仕事をしており、夕方や夜から練習があります。今までは私やスタッフが選手の仕事を探していましたが、今後はパソナさんが入ってくれることで、より選手に適した仕事の紹介や、選手がキャリアアップできる研修の開催などに期待しています。
■ パソナ岡山×岡山湯郷Belle 『パートナーシップ協定』 概要
締結日:2020年1月24日(金)
内容: 1)岡山湯郷Belleの所属選手を対象に以下を実施
【キャリアカウンセリング】
国家検定キャリア・コンサルティング技能士らによるキャリアカウンセリングの実施
【スキルアップ講座】
ビジネスマナー基礎研修、パソコン講座、セルフブランディング講座、面接対策講座等の開催
【仕事紹介】
競技と仕事の両立ができる仕事や、セカンドキャリアを見据えた仕事を選ぶための相談会の実施、就業先の選定
【就労後支援】
就労開始後に、就業先で円滑に仕事を進めていくための定期面談や研修の実施
2)社会貢献イベント等の共同開催
写真提供:亘崇詞、岡山湯郷Belle
岡山湯郷Belleのホームページ
https://www.yunogo-belle.com/
亘:僕は岡山県に生まれましたが、当時はプロリーグがなかったので15歳の時に「ブラジルに行きたい」と岡山県北にある湯郷のゴルフ場、新聞配達などで貯めたお金をもとに親に言いました。
危ないからと大反対されましたが、「アルゼンチンは南米のパリと呼ばれていて危なくない」と親に言ってくれた近所の人のアシストもあり、なんとかアルゼンチンへ行くことに。
元々マラドーナのことが好きでしたし、いつかブラジルにも行けると思い、 17歳の時に初の海外旅行でアルゼンチンに行きました。
ーーアルゼンチンでは、はじめからボカ・ジュニアーズ(以下はボカと表記)に入ったんでしたっけ?
亘:いやいや、色んなチームにテストを受けに行き、ボカのユースチームに入りました。ボカは人気チームだから育成があまりしっかりしていなかったので、入るチャンスがあったんです。
今は育成が凄いですが、当時は他のチームから選手を獲得するのがメインだったんです。地方リーグにレンタルされ結果を出し、チャンスをくれたのがボカでした。
ーーボカに入れたのは凄いです!
亘:今でこそ世界的にも人気のあるクラブになりましたが、当時は岡山県で親が「アルゼンチンのボカというチームに息子が入れた」と言ってまわっても誰も知らないようなクラブでした。
今は多くの日本人選手が海外で活躍していますが、プロになる!というよりは、まずサッカー大国の南米でサッカーを体感してみたかったんです。
ーーその時にどんなスパイクを履いてましたか?
亘:中学生の時からプーマです。僕はそんなにお金がなかったので、プーマのレナトやボルシアというスパイクを履いていました。
当時の日本代表選手やマラドーナさんが履いていたものに似ていて、安いものを憧れで履いていましたよ。
あとはキャプテン翼に憧れてアディダスのブンデスリーガシリーズを履いたこともあります。
僕らの時代はどこのメーカーでもベロが異様に長くて、ベロを折って使うスパイクを使ってましたよ。
アルゼンチンで行ったクラブでマラドーナさんが練習に来ると、どんなスパイクを履いてるのかメチャクチャ見ていました。
ーーマラドーナと一緒にプレーした経験があるのは物凄いです。
亘:マラドーナさんは晩年にミズノのモレリアを履いてましたからね。ナポリで一緒にプレーされたカレッカに影響されたのでしょう。それと、日本では26.5cmを履いていると言われていましたが、彼は25.5cmのミズノを履いていました!
ーーマラドーナの足のサイズも含めて、亘さんしか知らないような話で興味深いです。他に記憶に残っている素晴らしいスパイクはありますか?
亘:30年くらい前にあったベルトマイスターが今あったら、みんな履くと思いますよ。それくらい完成品なんですよ。コパムンディアルも。
時代を超えて履けるので、それらを作ったドイツ人は凄いと思いますよ。
ーーいつの時代でも愛される最高のスパイクですね。
亘:僕らがプレーしていた時代の南米では、どのメーカーのスパイクでもベロが長いのがカッコいいというのが当時の特徴でしたね。ベロが短いスパイクでも長く見せようとして、ベロを強く引っ張ると、スパイクから取れてしまっていた南米の選手は多かったです(笑)
ボカのユースの時にはボカのサプライヤーがアディダスでしたので、皮が硬く使い古された、アディダスのスパイクをまず貸してくれました。サテライトになったらエトルスコというスパイクを支給してくれました。
トップチームに上がったらTopperを履いている選手からお下がりをもらって、ベロがでっかいシューズを履いていました。
マラドーナさんを何度か見かけましたが、ミズノ・アディダス・ナイキ・マラドーナ10というメーカーもありましたが、何を履いてもマラドーナ結び、そしてベロを引っ張ってパタパタしてるイメージは変わりませんね。その中でも、Topperは最強でした。
ーースパイク以外にギアで何か面白かった話はありますか?
亘:成功すればするほど、バックが小さくなっていくんですよ。
ーーどういうことですか?
亘:ユースの時にはドラムバックなんです。タオル、着替え、ユニホーム、スパイクなどを全部入れて練習に通います。
サテライトに上がったら用具係が荷物を預かってくれるんです。スパイクもクラブハウスに置かせてくれるし、磨いてくれるんですよ。タオルも出してくれるので、小さいバックで練習に行けます。
そのあとシューズバックぐらいになって、そしてプロ(トップ)に上がるとポーチになるんですよ。よくレアルやバルサの選手がブランド物のポーチを持ってるじゃないですか。
リュックサックではなくて、メッシもビダルもカバーニもアメニティーポーチです!
あれはサッカー選手のステータスなんですよ。 ポーチには香水とスマホ、整髪料を入れるくらいです。用具係はパンツまで用意してくれるんですよ。
ーーバックの大きさを見たらどのレベルの選手かわかるんですね。
亘:ドラムバックからどんどん小さくなっていくのが嬉しかったんですよ。
ーー話は変わりますが、サッカー選手を引退された後はどうしたんですか?セカンドキャリアなどは現役のうちから考えてましたか?
亘:全く考えていなくて。今考えるとゾッとしますが、日本に帰ってきて何して良いか本当にわからなかったんです。
そんな中、1番はじめにしたのは一日サッカー教室の手伝いでした。メーカーさんや著名人のサッカー教室の手伝いをさせて頂きました。当時はリフティングを見せたり、色んな方が助けてくれて、どうにか生活していました。
JFLの2チームでプレーし、C級・B級のコーチライセンスを取得しました。サッカーをやって、仕事を紹介してくれて資格も取れたおかげで今もサッカーに携われています。
ーー(JFLの2チームで)選手に復帰されたんですね!
亘:人生ヤバいかもと思いました。はじめ(アルゼンチンへ行く前)に就職した岡山の会社でずっと働いていれば良かったかもとさえ思いました。
よく考えたら、その1年間で資格を取ってたんですよ。酸素欠乏作業主任者、有機溶剤作業主任者、 特定化学物質等作業主任者とかやたら1年で取ってたんです。
乙種も持っていて主任になれることもわかり、最悪これがあると思ったら結構チャレンジできたんですよ。
37歳までプレーしながら南米サッカーを伝える仕事をさせていただき、東京ヴェルディのスクールコーチから本格的に指導者の道に進むことになりました。
資格などは持っていた方が、積極的に進みたい道にチャレンジできるよということは選手に伝えたいですね。
――今回、岡山湯郷Belleとパソナ岡山がパートナーシップを結び、選手のキャリア支援をすることになりましたが、どんな期待をしていますか?
亘:選手は日中に仕事をしており、夕方や夜から練習があります。今までは私やスタッフが選手の仕事を探していましたが、今後はパソナさんが入ってくれることで、より選手に適した仕事の紹介や、選手がキャリアアップできる研修の開催などに期待しています。
■ パソナ岡山×岡山湯郷Belle 『パートナーシップ協定』 概要
締結日:2020年1月24日(金)
内容: 1)岡山湯郷Belleの所属選手を対象に以下を実施
【キャリアカウンセリング】
国家検定キャリア・コンサルティング技能士らによるキャリアカウンセリングの実施
【スキルアップ講座】
ビジネスマナー基礎研修、パソコン講座、セルフブランディング講座、面接対策講座等の開催
【仕事紹介】
競技と仕事の両立ができる仕事や、セカンドキャリアを見据えた仕事を選ぶための相談会の実施、就業先の選定
【就労後支援】
就労開始後に、就業先で円滑に仕事を進めていくための定期面談や研修の実施
2)社会貢献イベント等の共同開催
写真提供:亘崇詞、岡山湯郷Belle
岡山湯郷Belleのホームページ
https://www.yunogo-belle.com/