创始人K的独白,特辑VOL10《来自29.9%体脂的大逆袭/我要变酷的身材!第 3 部分。我想喝酒,吃饱肚子。”
キングギア発起人・金子達仁(50歳)が肉体改造にチャレンジ! はたして『子供と一緒にプールに行っても恥ずかしくない身体』になれるのか!? 大好きなお酒の席で救世主となる出会いから2週間後、ついにトレニーング開始!
金子达仁
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2016/10/03
<VOL9はこちら>
弛みきった腹。棒切れのような二の腕。およそスポーツをやっていたとは思えない己の肉体から目を背けまくっていたわたしの前に、突如パーソナルトレーナーなる人物が現れた。
わたしは飛びついた。普段から婚活パーティに足繁く通っていたおねーさまが、偶然弁護士で男前で性格もよくて独身で──なオトコと出会ってしまった時のような勢いで、飛びついた。
しかも、キングギア・スタッフのイケちゃんが酒の席に連れてきてくれたパーソナルトレーナーのキム・ガンミョン君、聞けば東京朝鮮高校サッカー部のOBだというではないか。
ご存じの方もいるかもしれないが、お世辞にも有名とはいえなかった高校時代の本田圭祐に目をつけ、グランパスへと引っ張ってきたのは、キム・イッチョさんという在日コリアンである。
でもって、このイッチョさん、グランパスのスカウトに転身する前は東京朝鮮高校サッカー部の監督を務めており、朝鮮高校が日本の公式戦に出場できるようになった際には、日本テレビの特集で密着させていただいたわたしでもあったのだ。
朝鮮高校と因縁の深い学校を卒業していることもあり、イッチョさんと出会う前のわたしは、在日コリアンと聞いただけで怖じ気づいているところがあった。
それがいかにくだらないことだったかを思い知ることができたのは、日本だけでなく、世界中の取材現場で顔を合わせたイッチョさんととことん酒を酌み交わしてきたからだった。
ドーハで行われたアメリカ・ワールドカップのアジア最終予選の際、日本が韓国に勝った夜は、わたしがイッチョさんの部屋に飲みの誘いの電話をかけ続けた。
数日後、オムラムのヘディングシュートが松永の守るゴールに吸い込まれた夜は、わたしの部屋の電話が鳴りやまなかった。どちらも、打ちひしがれる相手の顔を肴に酒が飲みたかっただけなのだが、もちろん、どちらも電話に出ることはなかった。
“悲劇”の翌日、朝食の会場で顔を合わせると「ひでえヤツだな、カネコちゃん」──自分のことを棚に上げて大笑いしていたのが、いまでも忘れられない。
残念ながら昨年、イッチョさんはガンで急逝された。お葬式にはコリアンだけでなく、日本人のサッカー関係者も大挙して訪れており、イッチョさんの人柄と人脈の広さをうかがわせた。
ま、それはともかくとして、キム・ガンミョン君が東京朝鮮高校サッカー部のOBだと聞いて、わたしは俄然図々しくなった。
イッチョさんの教え子ならわたしの舎弟も同然。勝手にそう決めつけたからである。
「あのさ、ダイエットっていうか、かっこいい身体にしたいのよ。てか、ライザップみたいなのって、ホントにできるのかな」
「できますよ。実は僕も、ライザップの出身なので」
「でもね、俺、酒も飲みたいし、腹一杯食いたいんだけど、大丈夫かな。あと、キツいトレーニングもイヤだし」
「大丈夫ですよ。お酒にしても食事にしても、種類や食材、調理法さえ気をつかっていただければ、基本、どれだけ呑んでも食べても大丈夫です」
わたしがイッチョさんとマブダチだったと聞いた上での言葉である。ウソなんかあるわけがない。てか、もしウソだとしたら、恩師に顔向けできまい。在日コリアンがどれだけ目上の人や恩師を大事にするかは、わたしもずいぶんと見てきている。
というわけで、わたしは信じることにした。
「じゃ、いつから始めますか?」
善は急ごう、じゃ来週から‥‥と行きたいところだったが、来週からは家族旅行の予定が入っていた。なので、スタートはそれが終わってから。そこまで決めて、タイ料理とハイボールをガッツリいただいたその日のわたしだった。
2週間後、ついにトレーニングが始まった。
初日ということで、まずはいろんなデータ収集。写真を撮ったり、サイズを図ったり、体重計に乗ったり。
無様な身体になってることはわかっていた。サイズもそんなものだろうなとは思っていた。ガンミョンは笑顔、わたしは苦笑。
だが、オムロンの体重計に表示された数字を見て、パーソナルトレーナーは眉をしかめた。
「これはちょっと、高いですねえ」
体重は71・7キロ。痩せてはいないが、178センチという身長を考えれば、そんなに悪い数字でもない。
問題は、体脂肪だった。 29・9パーセント。
わたしの身体の30パーセントが、わたしの身体ではなくなっていた。
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写真/清水知良(三浦知良、本田圭佑)
弛みきった腹。棒切れのような二の腕。およそスポーツをやっていたとは思えない己の肉体から目を背けまくっていたわたしの前に、突如パーソナルトレーナーなる人物が現れた。
わたしは飛びついた。普段から婚活パーティに足繁く通っていたおねーさまが、偶然弁護士で男前で性格もよくて独身で──なオトコと出会ってしまった時のような勢いで、飛びついた。
しかも、キングギア・スタッフのイケちゃんが酒の席に連れてきてくれたパーソナルトレーナーのキム・ガンミョン君、聞けば東京朝鮮高校サッカー部のOBだというではないか。
ご存じの方もいるかもしれないが、お世辞にも有名とはいえなかった高校時代の本田圭祐に目をつけ、グランパスへと引っ張ってきたのは、キム・イッチョさんという在日コリアンである。
でもって、このイッチョさん、グランパスのスカウトに転身する前は東京朝鮮高校サッカー部の監督を務めており、朝鮮高校が日本の公式戦に出場できるようになった際には、日本テレビの特集で密着させていただいたわたしでもあったのだ。
朝鮮高校と因縁の深い学校を卒業していることもあり、イッチョさんと出会う前のわたしは、在日コリアンと聞いただけで怖じ気づいているところがあった。
それがいかにくだらないことだったかを思い知ることができたのは、日本だけでなく、世界中の取材現場で顔を合わせたイッチョさんととことん酒を酌み交わしてきたからだった。
ドーハで行われたアメリカ・ワールドカップのアジア最終予選の際、日本が韓国に勝った夜は、わたしがイッチョさんの部屋に飲みの誘いの電話をかけ続けた。
数日後、オムラムのヘディングシュートが松永の守るゴールに吸い込まれた夜は、わたしの部屋の電話が鳴りやまなかった。どちらも、打ちひしがれる相手の顔を肴に酒が飲みたかっただけなのだが、もちろん、どちらも電話に出ることはなかった。
“悲劇”の翌日、朝食の会場で顔を合わせると「ひでえヤツだな、カネコちゃん」──自分のことを棚に上げて大笑いしていたのが、いまでも忘れられない。
残念ながら昨年、イッチョさんはガンで急逝された。お葬式にはコリアンだけでなく、日本人のサッカー関係者も大挙して訪れており、イッチョさんの人柄と人脈の広さをうかがわせた。
ま、それはともかくとして、キム・ガンミョン君が東京朝鮮高校サッカー部のOBだと聞いて、わたしは俄然図々しくなった。
イッチョさんの教え子ならわたしの舎弟も同然。勝手にそう決めつけたからである。
「あのさ、ダイエットっていうか、かっこいい身体にしたいのよ。てか、ライザップみたいなのって、ホントにできるのかな」
「できますよ。実は僕も、ライザップの出身なので」
「でもね、俺、酒も飲みたいし、腹一杯食いたいんだけど、大丈夫かな。あと、キツいトレーニングもイヤだし」
「大丈夫ですよ。お酒にしても食事にしても、種類や食材、調理法さえ気をつかっていただければ、基本、どれだけ呑んでも食べても大丈夫です」
わたしがイッチョさんとマブダチだったと聞いた上での言葉である。ウソなんかあるわけがない。てか、もしウソだとしたら、恩師に顔向けできまい。在日コリアンがどれだけ目上の人や恩師を大事にするかは、わたしもずいぶんと見てきている。
というわけで、わたしは信じることにした。
「じゃ、いつから始めますか?」
善は急ごう、じゃ来週から‥‥と行きたいところだったが、来週からは家族旅行の予定が入っていた。なので、スタートはそれが終わってから。そこまで決めて、タイ料理とハイボールをガッツリいただいたその日のわたしだった。
2週間後、ついにトレーニングが始まった。
初日ということで、まずはいろんなデータ収集。写真を撮ったり、サイズを図ったり、体重計に乗ったり。
無様な身体になってることはわかっていた。サイズもそんなものだろうなとは思っていた。ガンミョンは笑顔、わたしは苦笑。
だが、オムロンの体重計に表示された数字を見て、パーソナルトレーナーは眉をしかめた。
「これはちょっと、高いですねえ」
体重は71・7キロ。痩せてはいないが、178センチという身長を考えれば、そんなに悪い数字でもない。
問題は、体脂肪だった。 29・9パーセント。
わたしの身体の30パーセントが、わたしの身体ではなくなっていた。
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写真/清水知良(三浦知良、本田圭佑)