上田絢加、スキーモへの情熱:夢を追い続けた私のスポーツ人生 VOL2
自分の信じた夢を追い続ける。それは、例え幾つになっても、どんな逆境が待ち受けたとしても、そこに挑むことは人生の醍醐味かもしれない。そんな夢追い人とは、2026年ミラノ冬季オリンピックで新種目となる「スキーモ」に全力で挑んでいる上田絢加さんだ。スキー板を履いて歩き、板を担いで走り、そして滑り降りるという過酷なスポーツに魅了された彼女は、大企業に就職していた25歳の時にスキーモと出会った。高校までの陸上経験を活かし、瞬く間に頭角を現し、2年後には日本選手権で準優勝を果たした。 昨年、上田さんはスキーモに専念するため、思い切って会社を辞め、群馬に移住するという大胆な決断をした。現在、過去、そして未来にわたる上田さんの情熱と挑戦の物語を、余すことなく語ってもらった。
サントリーで働きながら再発見した、スポーツの持つ力
撮影:長田慶
大学を卒業して、私はサントリーに入社しました。きっかけは、普通に就職活動中に、会社選びに迷っていた私は、明確なやりたいことが見つかっていませんでした。でも、多くの人が日常的に触れるものを扱っていて、かつ自分の力が発揮できるような快適に働ける場所を選ぼうと思いました。後者の社風や社員の雰囲気をより重視し就活をしていく中で、サントリーの社員さんに会った時に「この人たちと一緒に働きたい」と感じたのが決め手でした。サントリーには「やってみなはれ」という大切にしている価値観があり、チャレンジを後押しする風土があります。挑戦することが好きな私にはぴったりだと思ったのです。
画像提供:上田絢加(本人)
実際に入社してみると、ギャップが全くなくて驚きました。他の会社で勤める友人たちの中には、会社で人間関係に悩んでいる人もいましたが、私は約7年間働いて、一度も人間関係で悩むことがありませんでした。失敗しても前向きに次どうするかを考え、一緒に解決策を見つけてくれる前向きな人が多く、本当に良い会社でした。
サントリーに入って最初の1年くらいは、あまりスポーツをしていません。1年目の最後の頃、様々なことが原因でメンタル的に厳しい時期がありました。その時にもう一度走ろうと思い立ちました。その後、トレイルランニングに出会い、心のバランスを整える手段として私にはスポーツが大切だと再認識したんです。
画像提供:上田絢加(本人)
自然の中で行うスポーツは心にとても良い影響を与えてくれます。自然と向き合うことで、自分の力ではどうにもならない状況に直面することがあります。例えば、急に雨が降ったり寒くなったりすると、自分の小ささを感じます。それに、自然の中にいると、街の嫌なことを一瞬忘れることができるんです。音や花や匂いなど、全ての感覚で自然を感じることで、リセットできる手段になっています。
大学を卒業した時には、スポーツを競技としてやりたいという思いはなく、ランニングを趣味として続けられれば幸せだなと思っていました。しかし、サントリーで働きながら、スポーツの持つ力を再発見し、その価値を深く実感することができました。
山を駆ける情熱、スキーモとの運命的な出会い
撮影:長田慶
スキーモとの出会いは、社会人2年目に山を走り始めたことがきっかけでした。その翌年、友達に「山を走る練習会があるから行こう」と誘われ、スカイランニングというスポーツを初めて体験。そこで、トップレベルの選手たちが集まる講習会に参加し、「スカイランニングって面白いかもしれない」と感じました。
その講習会に参加していた人から”スキーモ”というスポーツも教えてもらい、興味を持ちました。その方がスキーモを始めた理由は、海外の強いスカイランニング選手たちがみんなスキーモもやっていたからだそうです。
私はスキーの経験があったので、「これ、すごく面白そうだな」と思い、まずやってみることにしました。最初は練習に誘ってもらえるのかと思いきや、なんといきなり大会に誘われ驚きましたが(笑)、出場することにしました。
画像提供:上田絢加(本人)
大会では、自分が今までやってきたことが集約されるようなスポーツだと感じました。陸上やトランポリン、水泳の要素が集約されていて、とても面白いなと。そして、その時から、生涯続けられるスポーツとしてスキーモをやっていきたい、と思うようになりました。
その背景には、大学時代はプロスポーツではなく、生涯スポーツについて学んでいました。健康のためにスポーツを取り入れるという観点を持っていたので、スキーモならずっと続けられるかもしれないと感じたのです。
スキーモのオリンピック種目化が私の人生を変えた大きなターニングポイントに!
撮影:長田慶
スキーモがオリンピック種目になる、この発表が私の人生において大きな転機となりました。もし他の種目だったら、オリンピックを目指そうとは思わなかったでしょう。競技転向してまでオリンピックに出たいわけではありませんが、スキーモがオリンピック種目になったからこそ、目指してみようと思ったのです。
そのタイミングでサントリーを続けるか、今しかできないことをやるか迷いました。サントリーでの仕事も楽しかったですが、最終的に、今しかできないことを選び退職を決めました。
画像提供:上田絢加(本人)
現在は、群馬に移住して競技に打ち込んでいます。今の大きな目標はオリンピックで活躍することです。また、いつでも自分を支えてくれたスカイランニングやスキーモといった山でのスポーツをもっと多くの人に知ってもらいたいという気持ちがあります。
画像提供:上田絢加(本人)
ヨーロッパでは多くの人がスカイランニングやスキーモを楽しんでおり、オリンピック種目になるほどの人気がありますが、日本ではまだあまり知られていません。日本には素晴らしいフィールドがたくさんあるので、もっとメジャーなスポーツにできたらいいなと思っています。
スカイランニングについては、今コーチをしてくれている方が群馬県の片品村で「KATASHINA MOUNTAINS SERIES」と題して5つの大会を開催しており、そのお手伝いをしています。また、片品村で「KATASHINA SKIMO CAMP」というスキーモの体験会にコーチとして参加することもあります。スキーモはやれる場所が限られている上、道具が高価なので、いきなり購入するにはリスクが高い。そこで、レンタル道具を揃えて体験できるキャンプを開いています。ヨーロッパにいる時は参加できませんが、日本にいる時はそういった活動に参加しています。
オリンピック出場で未来が開ける!新たなキャリアへの道しるべに!
競技の成績を出すことも大切ですが、それだけを考えるとしんどくなることがあります。なので、競技を広めることなど、もう少し先の目標も持つようにしています。この年になってオリンピックを目指すと言うと、普通は驚かれ、周りからも「大丈夫?」とよく言われます。
撮影:長田慶
今、仕事で学生さんと話す機会も多いのですが、その感想でよくもらうのが、「学校で聞くオリンピック選手の話は、幼い頃からそのスポーツをやっていて、活躍してオリンピックに出るという流れが多い。でも、上田さんの場合は、普通に会社員として働いていて、突然オリンピックを目指すと言い出した」という。
画像提供:上田絢加(本人)
学生さんたちはそれを聞いて、「何事も目指すタイミングに遅いということはないんだな」とか、「私はこの目標を掲げて、1年後までにこれを達成したいと思います」といった感想を持ってくれることが多いです。
画像提供:上田絢加(本人)
もし、私がオリンピックに出て活躍できれば、新しいキャリアの道しるべになるかもしれません。何かを目指すのに年齢は関係ないということを、自分の体験を通じて若い世代に伝えられるかもしれません。おこがましいかもしれませんが、そういうことも自分にしかできないことなのかなと思っています。
VOL3につづく。
上田絢加(うえだあやか)
1993年2月10日生まれ、大阪府出身、群馬県在住中央カレッジグループ所属、THE NORTH FACE アスリート。神戸大学卒業後、25歳からスカイランニングに挑戦。大会初出場となる2018年のアジア選手権で3位に入る。会社員の傍ら競技に取り組み、2020年はスカイランニング日本選手権で初優勝、2021年にはスカイランナージャパンシリーズで史上初のスカイ、バーティカルの2種目で年間チャンピオンに輝いた。現在はスキーモで2026年のミラノ・コルティナダンペッツォ五輪を目指すため、群馬県に移住。昨シーズンのワールドカップ初戦のミックスリレー種目では11位を獲得。夏も冬も山で活動する二刀流のアスリート。
采访地点:渋谷SLOTH