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新記録を放ったレジェンドや育成初の受賞者…日本プロ野球の“新人王”ヒストリー

2025年はセ・パ12球団に総勢122名(育成指名含む)の新人選手が入団し、プロ野球の世界へ羽ばたくことになった。その中でも、抜群の守備センスで魅了する東北楽天ゴールデンイーグルス・宗山塁や即戦力サウスポーとして注目を浴びる中日ドラゴンズ・金丸夢斗らが新人王候補に挙げられている。そこで、過去に新人王を獲得したルーキーたちの中で、圧倒的な数字をマークしたレジェンドから下位指名ながら新人王をもぎ取った選手まで、ゴールデンルーキーたちの逸話を紹介していく。※トップ画像出典/photoAC

Icon setodaiki ph 瀬戸大希 | 2025/03/06

高卒で新人記録の31、ホーマーを放った最強打者・清原和博

プロ通算505本塁打を放った平成を代表するスラッガー・清原和博(西武ライオンズ)は、高卒とは思えない成績をマークして、1986年のパ・リーグ新人王を獲得した。PL学園時代は5季連続で甲子園に出場して前人未到の通算13本塁打をマークし、大型ルーキーとして西武に入団した清原。意中の読売ジャイアンツに入ることができなかったドラマも相まってマスコミからは大きな注目を浴びていた。しかし、周囲のプレッシャーやプロが投げる球のキレに圧倒され、オープン戦ではノーアーチ。打率も.220に留まり、開幕スタメンを逃してしまう。

それでも森祇晶監督は、清原のシャープで柔らかい打撃を買っていた。2戦目に守備固めでプロ初出場すると、2打席目にプロ初本塁打を放ち、打撃センスを見せつけた。こうして開幕11戦目でスタメンを勝ち取ると、前半戦で打率.252、11本塁打を記録。熱い夏に入ってバテ始めるかと思いきや、清原はようやく本領を発揮し始める。左右に打ち分ける広角打法が開花し、打率が上がり始めるとホームランも量産。9月16日に豊田泰光(西鉄ライオンズ)が持つ高卒最多本塁打記録に並ぶと、さらに数字を伸ばして最終的にはルーキー新人記録に並ぶ31本塁打をマーク。さらに打率.304、78打点といずれも好成績を残し、文句なしの新人王に輝いたのだった。

浪人も経験した“雑草魂”で20勝をマークした上原浩治

高校時代の成績からは想像もつかない活躍を見せて、新人王を獲ったのは読売ジャイアンツの上原浩治だ。

高校野球の激戦区・大阪にある東海大学付属仰星時代は、控え投手や外野手に甘んじていた上原。肩だけには自信があったがスタミナがなく、プロ野球の道は早々に諦めて大学受験に臨むも不合格。1年間の浪人生活を経て、大阪体育大学に入学した。すると「思い出作りのため」に入った野球部でいきなりエースに。テイクバックが小さいながらも鋭い腕の振りから繰り出される速球にはキレがあり、大学球界でその名を轟かせる存在に成長。また、日本代表に選出されると国際大会84連勝中だったキューバを手玉に取る投球を見せ、ジャイアンツの1位指名を勝ち取る。高校までは無名だったが、浪人時代にジムでのトレーニングで下半身を強化させたことが飛躍に繋がったのだった。

そして迎えたルーキーイヤーの1999年。上原へのマスコミからの評価は高くなかったが、4月13日の広島東洋カープ戦で初勝利をすると、5月以降は新人記録の15連勝を達成。抜群のコントロールとプロ入り後に覚えたフォークボールを駆使して、最終的には20勝4敗、防御率2.09、179奪三振という圧倒的な成績をマーク。最多勝、防御率、最多奪三振、最高勝率、新人王、そして沢村賞までタイトルを独占したのだった。控え投手からジャイアンツのエースになった上原の座右の銘である「雑草魂」はその年の流行語大賞にも選ばれた。

ドラフト下位ながら驚異のスピードで走りまくった赤星憲広

ドラフト下位指名ながら、上位指名の選手を抑えて新人王を勝ち取った選手といえば、JR東日本から2000年にドラフト4位で阪神タイガースに入団した赤星憲広だ。

当時、阪神の監督だった野村克也が赤星を獲得したのは「代走の切り札」として構想していたからで、決してレギュラーとしては期待していなかった。実際にキャンプが始まると、赤星は木製バットの対応に戸惑ったうえに小柄で非力だったため、打球が内野の頭を超えないという有り様。プロで生き残っていくのは難しいと諦めかけていたときに助言をくれたのは野村監督だった。「当てに行くな。振り切って三遊間に強いゴロを打てるようになれ」というアドバイスをヒントに、ひたすら逆方向へのゴロを打つ練習を続けていき、1軍帯同が決定。

2001年、ルーキーシーズンに入ると当初は代走や守備固めでの出場が続くが、暗黒時代のチームだっただけにチャンスが巡ってくる。5月に2番・センターでレギュラーを勝ち取ると、投手のクセを巧みに盗みつつ自慢の脚力を活かしてことごとく盗塁を決めていく。また、苦しんでいた打撃面もベンチで野村監督の近くに立ってバッテリーの配球や状況判断に関するボヤキを聞くことで、球種や配球を読んだ打撃をできるようになり、急成長を遂げたのだ。最終的には打率.292、128安打、39盗塁の成績をマークし、史上初となる盗塁王と新人王の同時受賞を果たした。

前半戦の神がかり的な快投で新人王をもぎ取った伊藤智仁

前半戦の驚異的な活躍だけが評価されて新人王になった選手がいる。1993年のヤクルトスワローズ・伊藤智仁だ。

1992年にドラフト1位で三菱自動車京都からヤクルトに入団。手足が長く異常に柔らかい肩や背筋を持っていた伊藤は、社会人時代に大きく真横に変化する高速スライダーを習得。アマチュアで無双したそんな魔球はプロでも十分通用すると評価されており、デビュー時から期待通りの活躍を見せる。特に強烈なインパクトを与えたのは6月9日の巨人戦。高速スライダーを軸にリーグ最多タイとなる16三振を奪い、強力な巨人打線を沈黙させた。結局、9回2アウトから篠塚和典にサヨナラホームランを浴びて負けてしまうが、見たことのない軌道を描く変化球にファンは度肝を抜かされたのだった。

その後も勝ち星を重ねていくものの、7月の巨人戦で右ひじを故障。戦列を離れることになり、シーズンを終えてしまったが7勝2敗、防御率0.91という驚異の成績をマーク。前半戦のみの登板だったが、圧倒的な衝撃を残して新人王を手にした。

初の育成指名からの新人王を獲った鉄腕・山口鉄也

育成指名から新人王を受賞した“下剋上”プレーヤーもいる。2005年に読売ジャイアンツに育成1位で指名された鉄腕サウスポー・山口鉄也だ。

山口は、横浜商を卒業後にメジャーリーグのダイヤモンド・バックスとマイナー契約を結ぶも、4年間のうちにメジャー昇格ならず。2005年、横浜ベイスターズと東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストに不合格するものの、「記念受験として楽しもう」と思いながら受けた巨人の入団テストで奇跡が起きる。2軍のコーチだった小谷正勝に独特の軌道で沈むチェンジアップを評価されてプロ入りすることになるのだ。

2年目の2007年に支配下登録されると、2008年には中継ぎエースとして67試合に登板。11勝2敗、23ホールド、2セーブというフル回転の活躍を見せた。こうして山口は、3年目ながら育成枠出身選手として初の新人王を受賞する偉業を成し遂げたのだった。

今季はどの選手が新人王を獲得するのか?ルーキーたちの激しいバトルにも注目しながらペナントレースを見てみてほしい。