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【前編】日本代表W杯への旅路ー1998~2002年、誰も知らなかった景色へ

日本が初めてW杯の舞台に立ったのは1998年のフランス大会。希望と不安を抱えながらアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカという強豪に挑んだ日本代表は、勝利こそ掴めなかったものの、確かな存在感を世界に示した。そして4年後、2002年日韓W杯は自国開催。スタジアムを埋め尽くすサポーターの声援を力に変え、ついにグループリーグ突破という快挙を成し遂げる。『夢の舞台』で次々と歴史を塗り替えたその姿は、日本中にサッカー旋風を巻き起こした。初出場からベスト16進出まで、W杯の舞台で日本代表はいかにして成長を遂げたのか。その名場面を振り返っていく。※トップ画像出典/Pixabay(トップ画像はイメージです)

Icon arata illust2 眞木 優 | 2025/04/16

初出場の日本、W杯で痛感した“世界との差”

1998年、日本代表はついにW杯初出場を果たす。夢の舞台で待ち受けていたのは、想像を超える“世界”という厚い壁だった。6月14日、初戦の相手は優勝候補のアルゼンチン。3バックを敷いた岡田監督の布陣は中西・井原・秋田のラインで、アルゼンチンのストライカーであるバティストゥータやオルテガといった一流のアタッカーたちに挑んだ。キャプテン井原を中心に守備陣が奮闘を見せるが、前半28分、バティストゥータにゴールネットを揺らされてしまう。それでも後半は中田を軸に攻撃が冴えわたり、呂比須、名良橋、秋田らが果敢にゴールを狙うも得点には至らず。日本初めてのW杯は敗戦から厳しく幕を開けた。

続く第2戦。6月20日、蒸し暑いナントの地で日本はクロアチアと対戦。初戦を逃した日本は、何としても初勝利を掴みたいと意気込む。クロアチアは引き気味の布陣をとり、チーム全体の運動量が少なかった。逆に、日本は高温多湿の厳しい環境下でも果敢に攻撃を仕掛け続けた。そして前半、相手からボールを奪った中田がすばやくドリブル、前線の中山へ絶妙なクロスを供給。まさに「決まった」と思わせたが、GKラディッチのスーパーセーブにより、日本は初ゴールを逃す。流れを掴みかけた日本だったが、後半32分、一瞬のミスを突かれ、クロアチアのストライカー・シュケルにゴールを許し、0-1で連敗。少ないチャンスを確実に仕留める力こそが世界レベルとの差に見えた。日本は予選グループ2敗目を喫し、この時点でグループリーグ敗退が決定した。

第3戦はジャマイカとの対戦。すでにグループリーグ敗退が決まっていたものの、「無得点では終われない」という意地と誇りをかけた一戦だった。試合はウィットモアの2得点でジャマイカがリードする展開。第3戦においても1点が遠い日本。しかし後半29分、左サイドから相馬が送ったクロスに、呂比須が頭で折り返し、中山雅史が飛び込み、ゴールネットを揺らす。日本代表の熱い思いがようやく実を結んだ瞬間だった。だが試合後、中山が骨折していたことが判明。その執念がより多くの人の心を打ったことだろう。この試合では18歳の小野も出場し、そのテクニカルなプレーで存在感を示した。初出場で3連敗という結果に終わったが、日本にとっては確かな一歩だった。

青き魂が世界を揺らした、希望のグループリーグ

Jリーグ創設からわずか9年。自国開催となった2002年日韓大会で、日本代表は初のグループリーグ突破を果たす。

埼玉スタジアムに集まった5万人超のサポーター。ピッチには、開幕戦の緊張感が張り詰めていた。前半から両チームは果敢にゴールを狙い合うも、互いの堅守に阻まれ、スコアは動かないまま時間が過ぎていく。試合は後半、ヴィルモッツがアクロバティックな一撃で先制。スタジアムは一瞬にして静まり返るが、日本の金髪ストライカー鈴木隆行がその沈黙を破った。小野の放ったロングパスに素早く反応し、相手DFを振り切って走り抜け、懸命に右足を伸ばす。つま先でかろうじて触れたボールがゆっくりとゴールに向かって転がり、相手のゴールネットを揺らした。スタジアムの大歓声に背中を押され、勢いに乗った日本。さらに8分後、稲本が華麗なドリブルで中央突破し、逆転のシュートを突き刺す。しかし迎えた75分、ベルギーの反撃に屈し、再び同点に。最終的に2-2の引き分けとなったが、日本の戦う姿勢と攻撃力を世界に示した名場面だった。

迎えた第2戦。初勝利を信じてやまない6万人超のサポーターがスタジアムに詰めかけた。前半は一進一退の攻防が続く。しかし後半、柳沢のダイレクトパスをオフサイドラインぎりぎりで受けた稲本は、GKとの駆け引きにも冷静さを失わず、迷いのない右足でゴール右上にボールを流し込んだ。ベルギー戦に続き、2試合連続ゴールという偉業を成し遂げる。日本は1点を守る苦しい展開。ロシアも意地と誇りを懸けて猛攻を仕掛ける。そして、ついに横浜の空に鳴り響いた終了のホイッスル。スコアは1-0。日本代表、W杯初勝利。まさに歴史が変わった瞬間だった。ピッチ上には、前回大会でゴールを決めた中山の姿もあった。まるで優勝を決めたかのような歓喜と祝福にスタジアムは包まれていた。視聴率66.1%。日本中がテレビの前で固唾を飲み、歓喜に沸いた夜は歴史的な一戦となった。

そして運命のグループリーグ最終戦。日本は地元・大阪でチュニジアと対戦。負ければ敗退の可能性すらある緊迫した状況で日本代表は躍動した。後半開始直後、森島がペナルティエリア内で反応し、むずかしい体勢から身体をひねり左サイドネットを揺らした。長居スタジアムに響いた爆発的な歓声とスタンドで抱き合うサポーターたちの姿は、記憶に残るほどだった。続く75分には市川のクロスを中田英寿が渾身のダイビングヘッドを決め、2点目。セリエAという欧州トップリーグで日々激戦を経験していた中田(英)にとっては「いつもの1点」だったかもしれない。それでも、日本代表にとっては、歴史を塗り替える価値ある1点だった。試合は2-0の完勝。W杯初のグループリーグ首位通過し、ベスト16へと駒を進めた。

勝てなかったけど、戦えたーー日本サッカーが目を覚ました年

チュニジア戦からわずか3日という過密日程のなか、迎えた決勝トーナメント初戦。スタメンは、今大会初出場の西澤と三都主の名が並び、日本は新たな布陣で臨んだ。しかし、そのメンバー変更が裏目に出たのか前半12分、連携ミスからコーナーキックを与えてしまい、痛恨の先制点を許してしまう。しかし日本も積極的に攻撃を仕掛ける。そして訪れた前半最大のチャンス、三都主のフリーキック。きれいな弧を描いたボールは相手の壁を越え鋭く放たれたが、無情にもポストにはじかれた。運にも見放された日本は、後半に選手交代でリズムを変えようとするが、トルコの堅守の前に得点を奪えずタイムアップ。スコアは0-1。ノックアウトステージでの経験不足と厳しさを痛感させられた一戦だった。大会はここで終わってしまったが、大会後、多くの選手たちが欧州へと羽ばたき、日本サッカーのステージは確実に広がっていった。

国をあげて開催された日韓W杯は、スポーツという枠を超えて、日本という国の熱狂を呼び起こした。スタジアムに響く声援、街中を彩ったブルーのウェーブ、サポーターたちの涙と歓喜──そのすべてが、“日本サッカーのはじまり”を象徴していた。「世界と戦える」そんな自信と期待を、日本中が初めて本気で抱いた2002年。この熱狂は次なるステージへと続いていく。