首席执行官第1次长泽get界的故事(Hakubaku有限公司)Vol.1“我的青春夏令营”
新企画はじめます。KING GEARには「スポーツの主役は選手だけではない」というポリシーがあります。スパイクの無い選手、グローブの無いキーパー、スポンサーの無いチームは選手がプレーできません。スポンサーにスポットライトをあてる企画を行うのは以上の理由からです。記念すべき第一回目は、株式会社はくばくの長澤社長にラグビーに励んだ青春時代の話とヴァンフォーレ甲府をサポートする理由を聞いて参ります。
小池菊池
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2017/06/28
――はじめまして。新企画の第一回目を引き受けてくださりありがとうございます!
長澤 こちらこそです。何から話しましょうか。
――はじめに長澤さんのスポーツ歴を聞きたいのですが、大学からラグビーを始められたんですよね?
長澤 そうなんです。大学からなんですよ。
――高校や中学ではスポーツはしてなかったんですか?
長澤 高校はやっていなくて、小学校・中学校と野球をやってました。
――やはり野球なんですね!
長澤 我々の年代はだいたい野球をやっていたんじゃないですかね。野球の方がメジャーでしたから。野球を小・中でやっていて好きだったから高校でもやりたかったんです。 ただ通学に高校が遠くてね。それで高校は勉強に専念しまして、大学(東京大学)に入りました。
大学でも当初は野球をやろうと思ったんですけど、軟式しかやったことがないので流石に東大とはいえ、軟式から硬式野球はやれないですよね。 それで野球は選択肢から外し、次はラグビー・アメフト・ボートとかを考えました。
――なぜボートに興味を持たれたんですか?
長澤 東大ボート部は、当時強かったんです。しかもオリンピック選手になれるって言われて。ちょっとグラッときたんですけど、やっぱり、ボートを毎日毎日こぐだけというのは、つまらなさそうだなって思って(笑)
球技の方がいいなと思ってラグビーを選びました。アメフトとどっちか迷ったんですけど当時はラグビーが1番人気がありましたしね。
――大学ラグビーって1番人気だったんですね。
長澤 あの頃は1番人気がありましたよ。平尾さんのその後の時代ですかね。同志社が強かった時代が終わって、今泉とか堀越とか吉田とかスター選手が活躍していました。彼らが2つ下とかなんですよ。1つ下には清宮とか大西などの明治、早稲田のスターがいました。私が1年生の時に慶応が日本一になったんですよ。
――慶応には1回勝たれたんですよね?
長澤 そうですね、私が3年生の時に。私が1年生の時はボコボコにやられたんですよ。向こうは当時の日本一ですからね。とんでもなく強くって。3年生の時に勝ったので、それなりにニュースにはなったんですけどね。
――全くゼロからラグビーを大学で始められて大変だったこととかってありますよね?
長澤 大変ですよ(笑)さすがにね。
――そうですよね。他の方は高校でやってたり経験者ばかりですよね?
長澤 東大だとフォワードの方はけっこう未経験者が多かったんですよ。その点は大丈夫だったんですけどね。ただ、いきなり入部して新入生歓迎コンパで足折っちゃったんですよ。折られたというか、柔道やって・・・。
――柔道ですか・・?
長澤 中学の時は柔道も野球の傍らに少しだけ、やってたんですよ。でもちょっと見栄はって「柔道やってましたよ!」って自己紹介したんです。
新入生歓迎コンパでそのままの勢いでグラウンドで自己紹介しろって。練習終わってからだったのでスパイクを履いてたんですよ。
その時に同期に柔道2段のやつがいましてね、そいつが本当に強かったんですよ。
私は4級だったんです。柔道やってたって言ったらそいつが絡んできましてね。ピシッって足払いが入って、スパイクだったんで軽く骨が折れちゃったんですよ(笑)
――スタートから骨が折れたスタート(笑)
長澤 入学して1週間くらいで骨折っちゃいました。その後に復帰したんですけど、1年生の中でも体力が落ちたまま夏合宿に突入しましたんでね。
――夏合宿は大変だったんじゃないですか?
長澤 基本1年生の夏合宿って厳しいと思うんですよね。特にラグビーの場合、その頃は夏合宿がしごきの場みたいなのがどこの大学にもあったんですよ。だから東大もかなり厳しい練習だったんです。朝4時から練習で、そのあと朝9時からの計3部練だったんですけど。朝の暗い内に山中湖を走る練習もありましたね。慶応と一緒に。ひたすら走らされる練習で。
――しかもまだ水が飲めないような時代ですよね?
長澤 ラグビーはけっこう泥水みたいなものが飲めたんですよ。大きなバケツにカップが入っていて、みんな手で水をすくうんですよ。みんな手が汚れてるから、だんだん泥水になっていくんですよ(笑)でもそんな事は気にしないで飲んでましたね。
――飲まないと熱中症とかで死んじゃいますよね(笑)
長澤 ほんと泥水を皆でガンガン飲んでました。バケツにポカリを女子マネージャーが溶かして。それをみんなでガサガサすくって飲んで。始めにすくえる先輩は良いけど、どんどん泥水になっていくみたいな(笑)合宿所の寝床もジャリジャリしてました。
――あ~、砂っぽい感じですね。懐かしいです。
長澤 下っ端ってやっぱり入り口で寝かされるじゃないですか。先輩達は部屋の奥で寝ることが多くてね。
――合宿恒例の雑魚寝ですね。
長澤 そうそう。そして1年生の時は、確か押入れの中に入れさせられましたね。(笑)部屋に人が多すぎて。
――もう布団をひく場所がないという状況ですね。
長澤 押入れに頭半分突っ込んで寝てました。
――キツいですね、それで3部練で朝の4時からやって・・・
長澤 それで走って、スクラム組んで。スクラムだってあれですよ。夏合宿までほとんど組んだ事はないですからね。突然、右プロップで3番になっちゃったんです。本当はフランカーやりたかったんですけどね(笑)
右プロップになっちゃったんで、初めてスクラムを組むと大変なんですよ。プロップはスクラムの時の要というか負担が大きいんです。背中が曲がっちゃって息ができなくなったりしました。
――呼吸が出来ないとは・・・
長澤 息が詰まっちゃって(笑)あとはスクラムの時に肋骨が折れちゃって。助軟骨がパキッとかいって。でもそれは怪我じゃないと、助軟骨の骨折っていうのは怪我じゃないって言われて。
――じゃあ折れながらやってたんですね。
長澤 テーピング巻いたりしてね。肩鎖関節の脱臼とかも怪我じゃないと(笑)
――すごい・・・
長澤 すごい時代でしょ?ヤカンの水を負傷した患部に流して的なことをやってるんですから。まあ1年の夏合宿は厳しかったですね。
――でも辞めようとか思わなかったんですか?
長澤 それは思わなかった。夏合宿が終わった後は達成感がありましたね。なんかやりきった感があったというか。
―― 一歩を越えたって感じですかね。今になってその時の経験が活きているような事ってありますか?
長澤 逆説的なんですけどね。それまではけっこう上手くいっていた人生だったんです。自分にも自信があったんですよ。自分は出来るというようなね。でもこの時にやっぱり弱い自分を発見しました。練習も辛いから、怪我をちょっとしたって言って休みたいなとかね。
練習休ませてもらって本当は復帰できるんだけれどもズルズルと今日はやめとこうみたいな。結局、痛いとか相手には分からないじゃないですか。先輩にも「まだ無理です」とか言って練習休んで、怪我人を装うみたいなね。そういう時に自分の弱さとか、なんだかなという気持ちになりました。
そういう時に人の弱さを教えて貰ったっていう感じがしますね。ずるい自分っていうかね(笑)
vol.2に続く http://king-gear.com/articles/389
取材協力/株式会社はくばく
写真/菅優樹
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長澤 こちらこそです。何から話しましょうか。
――はじめに長澤さんのスポーツ歴を聞きたいのですが、大学からラグビーを始められたんですよね?
長澤 そうなんです。大学からなんですよ。
――高校や中学ではスポーツはしてなかったんですか?
長澤 高校はやっていなくて、小学校・中学校と野球をやってました。
――やはり野球なんですね!
長澤 我々の年代はだいたい野球をやっていたんじゃないですかね。野球の方がメジャーでしたから。野球を小・中でやっていて好きだったから高校でもやりたかったんです。 ただ通学に高校が遠くてね。それで高校は勉強に専念しまして、大学(東京大学)に入りました。
大学でも当初は野球をやろうと思ったんですけど、軟式しかやったことがないので流石に東大とはいえ、軟式から硬式野球はやれないですよね。 それで野球は選択肢から外し、次はラグビー・アメフト・ボートとかを考えました。
――なぜボートに興味を持たれたんですか?
長澤 東大ボート部は、当時強かったんです。しかもオリンピック選手になれるって言われて。ちょっとグラッときたんですけど、やっぱり、ボートを毎日毎日こぐだけというのは、つまらなさそうだなって思って(笑)
球技の方がいいなと思ってラグビーを選びました。アメフトとどっちか迷ったんですけど当時はラグビーが1番人気がありましたしね。
――大学ラグビーって1番人気だったんですね。
長澤 あの頃は1番人気がありましたよ。平尾さんのその後の時代ですかね。同志社が強かった時代が終わって、今泉とか堀越とか吉田とかスター選手が活躍していました。彼らが2つ下とかなんですよ。1つ下には清宮とか大西などの明治、早稲田のスターがいました。私が1年生の時に慶応が日本一になったんですよ。
――慶応には1回勝たれたんですよね?
長澤 そうですね、私が3年生の時に。私が1年生の時はボコボコにやられたんですよ。向こうは当時の日本一ですからね。とんでもなく強くって。3年生の時に勝ったので、それなりにニュースにはなったんですけどね。
――全くゼロからラグビーを大学で始められて大変だったこととかってありますよね?
長澤 大変ですよ(笑)さすがにね。
――そうですよね。他の方は高校でやってたり経験者ばかりですよね?
長澤 東大だとフォワードの方はけっこう未経験者が多かったんですよ。その点は大丈夫だったんですけどね。ただ、いきなり入部して新入生歓迎コンパで足折っちゃったんですよ。折られたというか、柔道やって・・・。
――柔道ですか・・?
長澤 中学の時は柔道も野球の傍らに少しだけ、やってたんですよ。でもちょっと見栄はって「柔道やってましたよ!」って自己紹介したんです。
新入生歓迎コンパでそのままの勢いでグラウンドで自己紹介しろって。練習終わってからだったのでスパイクを履いてたんですよ。
その時に同期に柔道2段のやつがいましてね、そいつが本当に強かったんですよ。
私は4級だったんです。柔道やってたって言ったらそいつが絡んできましてね。ピシッって足払いが入って、スパイクだったんで軽く骨が折れちゃったんですよ(笑)
――スタートから骨が折れたスタート(笑)
長澤 入学して1週間くらいで骨折っちゃいました。その後に復帰したんですけど、1年生の中でも体力が落ちたまま夏合宿に突入しましたんでね。
――夏合宿は大変だったんじゃないですか?
長澤 基本1年生の夏合宿って厳しいと思うんですよね。特にラグビーの場合、その頃は夏合宿がしごきの場みたいなのがどこの大学にもあったんですよ。だから東大もかなり厳しい練習だったんです。朝4時から練習で、そのあと朝9時からの計3部練だったんですけど。朝の暗い内に山中湖を走る練習もありましたね。慶応と一緒に。ひたすら走らされる練習で。
――しかもまだ水が飲めないような時代ですよね?
長澤 ラグビーはけっこう泥水みたいなものが飲めたんですよ。大きなバケツにカップが入っていて、みんな手で水をすくうんですよ。みんな手が汚れてるから、だんだん泥水になっていくんですよ(笑)でもそんな事は気にしないで飲んでましたね。
――飲まないと熱中症とかで死んじゃいますよね(笑)
長澤 ほんと泥水を皆でガンガン飲んでました。バケツにポカリを女子マネージャーが溶かして。それをみんなでガサガサすくって飲んで。始めにすくえる先輩は良いけど、どんどん泥水になっていくみたいな(笑)合宿所の寝床もジャリジャリしてました。
――あ~、砂っぽい感じですね。懐かしいです。
長澤 下っ端ってやっぱり入り口で寝かされるじゃないですか。先輩達は部屋の奥で寝ることが多くてね。
――合宿恒例の雑魚寝ですね。
長澤 そうそう。そして1年生の時は、確か押入れの中に入れさせられましたね。(笑)部屋に人が多すぎて。
――もう布団をひく場所がないという状況ですね。
長澤 押入れに頭半分突っ込んで寝てました。
――キツいですね、それで3部練で朝の4時からやって・・・
長澤 それで走って、スクラム組んで。スクラムだってあれですよ。夏合宿までほとんど組んだ事はないですからね。突然、右プロップで3番になっちゃったんです。本当はフランカーやりたかったんですけどね(笑)
右プロップになっちゃったんで、初めてスクラムを組むと大変なんですよ。プロップはスクラムの時の要というか負担が大きいんです。背中が曲がっちゃって息ができなくなったりしました。
――呼吸が出来ないとは・・・
長澤 息が詰まっちゃって(笑)あとはスクラムの時に肋骨が折れちゃって。助軟骨がパキッとかいって。でもそれは怪我じゃないと、助軟骨の骨折っていうのは怪我じゃないって言われて。
――じゃあ折れながらやってたんですね。
長澤 テーピング巻いたりしてね。肩鎖関節の脱臼とかも怪我じゃないと(笑)
――すごい・・・
長澤 すごい時代でしょ?ヤカンの水を負傷した患部に流して的なことをやってるんですから。まあ1年の夏合宿は厳しかったですね。
――でも辞めようとか思わなかったんですか?
長澤 それは思わなかった。夏合宿が終わった後は達成感がありましたね。なんかやりきった感があったというか。
―― 一歩を越えたって感じですかね。今になってその時の経験が活きているような事ってありますか?
長澤 逆説的なんですけどね。それまではけっこう上手くいっていた人生だったんです。自分にも自信があったんですよ。自分は出来るというようなね。でもこの時にやっぱり弱い自分を発見しました。練習も辛いから、怪我をちょっとしたって言って休みたいなとかね。
練習休ませてもらって本当は復帰できるんだけれどもズルズルと今日はやめとこうみたいな。結局、痛いとか相手には分からないじゃないですか。先輩にも「まだ無理です」とか言って練習休んで、怪我人を装うみたいなね。そういう時に自分の弱さとか、なんだかなという気持ちになりました。
そういう時に人の弱さを教えて貰ったっていう感じがしますね。ずるい自分っていうかね(笑)
vol.2に続く http://king-gear.com/articles/389
取材協力/株式会社はくばく
写真/菅優樹
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