采访荷兰Van Wermeskerken(SC Kanbur)采访“Vol.4作为日本代表获得的收获和挑战”
高校を卒業後にJリーグを経ないでエールディヴィジ(オランダ1部リーグ)でプロデビュー。オランダでの活躍が目に留まり、2016年にはリオ五輪を目指すU-23日本代表にも選らばれた。そんなファン・ウェルメスケルケン・際さんに自身のルーツと現在について詳しく聞かせてもらった。Vol.4ではU-23日本代表に選ばれて、実際にメキシコ代表などと試合をして感じたことを中心に語ってもらった。
小池菊池
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2018/07/14
第3卷来自这里
―― 2016年の3月にU23の日本代表に呼ばれたじゃないですか。その時は2部でバリバリ試合に出ていた時ですか?
边缘 そうです。2部で出ていた時です。
―― 日本代表スタッフの方などが見に来ていたんですかね?それともいきなり呼ばれた?
边缘 今所属しているカンブールはスタジアムが大きいですけど、当時に所属していたドルトレヒトはそんなに大きくないので、日本人が来られたらすぐにわかるし、周りも僕に言うので、現地に見に来てはいなかったと思います。ビデオなど映像でチェックされたんじゃないかと思います。
―― 手倉森さんに呼ばれて、ポルトガル遠征のメキシコ戦に出ましたよね。日本代表デビューの時はどういう心境でしたか?
边缘 オランダに来るにあたって、僕が思い描いていたのは、オリンピックの年(2016年)に最低でもプロ契約を勝ち取って1年間プレーし続けるという事を1番に考えていました。それをしっかりやれれば代表はついてくるだろうなと考えていました。
ある意味、3年計画でしたけど、何とかプロデビューして1年間やり続けることができて、運ももちろんありましたけど、想像していたように呼んで頂いてという形でした。もちろん驚きもありましたけど、やってきて良かったなと思いました。
―― そのメキシコ戦でのエピソードはありますか?
边缘 国を背負うという部分に関しては、年代別の代表に選ばれておらず、U23日本代表が初めてだったので感慨深いものがありました。
合流した当初は緊張とかもありましたけど「どのレベルなのか?」「どういう選手の集まりなのか?」「どういうレベルを今後目指さなければならないのか?」という部分がどちらかというと楽しみでしたね。
―― 実際試合に出てどうでしたか?僕はテレビで見ていて、ずいぶん長い名前の選手が入ったなと強烈なインパクトがありましたよ(笑)
边缘 やはり日本のサッカーと海外のサッカーは全然違うんだなと感じました。所属チームの当たり前が日本代表の当たり前ではないので、やはりそういう部分で難しさはありました。
―― どのあたりが一番難しかったですか?
边缘 その時の所属チーム(ドルトレヒト)に関しては1対1を全フィールドでやるという感じの考え方で、個で負けなければ良いというものでした。
例えばサイドバックだったら自分のゾーンがあるじゃないですか。裏だったり前だったりの部分をケアするのが普通ですけど、当時のドルトレヒトの場合はウィンガーが下がったらそこについて行って、そこにプレッシャーをかけに行ってもOK。
それで、もし裏に行ってもセンターバックがカバーして削って刈り取るという役目、考え方だったので。
その考えとある意味真逆だったのが代表でした。代表はどちらかというと自分のスペースをちゃんと守って、行き過ぎないでカバーするという形でした。
そこはどうしても頭でわかっていても、身体が反応してしまうので、難しい部分はありましたね。その為、裏にボールが出た時に、普段チームメイトがいるところにいない。そこは自分がケアをしなければいけない部分の違いなどは難しかったですね。
―― 国が違うとサッカーも大きく違いますもんね。メキシコ戦やトゥーロン国際などで、色々な国との対戦があったと思いますけど、手応えはどうでしたか?
边缘 周りが上手いと、これだけサッカーってシンプルになるんだなって感じました。
相手が速かったり強かったり、国によって長所は違いますけど、日本人の強みはアジリティだったり、パスの精度だったり、運動量だったりという部分で、周りのクオリティが上がれば、そのワンタッチのパスの精度が上がる、テンポも上がる、そこにミスがおきない。
それがどれだけ相手にとって脅威で、どれだけ僕たち自身が楽かという部分がわかりました。
オランダでサッカーをやっているとどうしても、ウィンガーの文化が強いので、「1対1をさせる」という部分に重点を置いたりするんです。
どうやってサイドを攻略するかに重きをおいているので、全然違いました。
―― オランダはウィンガーが1対1で勝って抜いていくんですね。
边缘 それが役目というか、重要になってくるんです。
―― 日本だったらワンツーを使って勝負を仕掛けないで裏に抜けることが多いですよね?
边缘 そうです。パスとコンビネーションで崩していく部分ですね。こっちはガンガン1対1をさせるので(笑)
―― だいぶ違いますね。当時の日本代表で、仲良くなった選手は?
边缘 裕也くん(久保裕也)や南野拓実選手です。やはり海外で、もう既にプレーしている選手に関しては、考え方というか、プレーしている環境が似ている部分があるので、話が合いました。
僕より一歩二歩先のレベルを既に経験されている選手なので、勉強になる話だったり、経験があったので、そこはすぐに仲良くなりましたね。
―― そういう出会いも含めて、もちろんリオ五輪のメンバーに最終的に選ばれなかったのは悔しいことだと思うんですけど、プラスになっていることは沢山ありますよね?
边缘 プロ一年目でそこまで経験させて頂いたというのが大きかったので、僕にとっては収穫でしかないんです。そこでプレーして得るものしかなかったので、本当に良い経験でした。
―― でもリオ五輪がある意味、手が届くところまで来ていたような状況だったではないですか。メンバー発表の時の悔しさはどんなものでしたか?
边缘 オリンピックに関してはもちろん行きたかったです。
オリンピックは人生で一度あるかないかという部分もありますけれど、どちらかというと、僕はそこで得た経験に関して、思っていた以上の修正点だったり、課題だったり、逆に出来た部分だったりという情報が一気に入って来たので、それをどれだけ整理して、いかに早く取り組めるかという部分でワクワクしていました。
―― その時のメンバーがA代表に入ったり、ワールドカップを戦いますよね。日本代表への想いはいかがですか?
边缘 代表ということに関しては、サッカー選手である以上、目指すべき場所ですし、かけがえのない時間というか、なかなか得られない経験ですので、そこは目指したいです。
でもそこばかりをずっと見ていると今が疎かになってしまうので。
―― まずは今日の練習、明日の練習、次の試合ですね。
边缘 そうです。一個一個修正して進んでいくことが大事ですね。それが結果的に恐らく代表に繋がっていくと思うので。
Vol.5へ続く
照片:Kikuchi Kohei
―― 2016年の3月にU23の日本代表に呼ばれたじゃないですか。その時は2部でバリバリ試合に出ていた時ですか?
边缘 そうです。2部で出ていた時です。
―― 日本代表スタッフの方などが見に来ていたんですかね?それともいきなり呼ばれた?
边缘 今所属しているカンブールはスタジアムが大きいですけど、当時に所属していたドルトレヒトはそんなに大きくないので、日本人が来られたらすぐにわかるし、周りも僕に言うので、現地に見に来てはいなかったと思います。ビデオなど映像でチェックされたんじゃないかと思います。
―― 手倉森さんに呼ばれて、ポルトガル遠征のメキシコ戦に出ましたよね。日本代表デビューの時はどういう心境でしたか?
边缘 オランダに来るにあたって、僕が思い描いていたのは、オリンピックの年(2016年)に最低でもプロ契約を勝ち取って1年間プレーし続けるという事を1番に考えていました。それをしっかりやれれば代表はついてくるだろうなと考えていました。
ある意味、3年計画でしたけど、何とかプロデビューして1年間やり続けることができて、運ももちろんありましたけど、想像していたように呼んで頂いてという形でした。もちろん驚きもありましたけど、やってきて良かったなと思いました。
―― そのメキシコ戦でのエピソードはありますか?
边缘 国を背負うという部分に関しては、年代別の代表に選ばれておらず、U23日本代表が初めてだったので感慨深いものがありました。
合流した当初は緊張とかもありましたけど「どのレベルなのか?」「どういう選手の集まりなのか?」「どういうレベルを今後目指さなければならないのか?」という部分がどちらかというと楽しみでしたね。
―― 実際試合に出てどうでしたか?僕はテレビで見ていて、ずいぶん長い名前の選手が入ったなと強烈なインパクトがありましたよ(笑)
边缘 やはり日本のサッカーと海外のサッカーは全然違うんだなと感じました。所属チームの当たり前が日本代表の当たり前ではないので、やはりそういう部分で難しさはありました。
―― どのあたりが一番難しかったですか?
边缘 その時の所属チーム(ドルトレヒト)に関しては1対1を全フィールドでやるという感じの考え方で、個で負けなければ良いというものでした。
例えばサイドバックだったら自分のゾーンがあるじゃないですか。裏だったり前だったりの部分をケアするのが普通ですけど、当時のドルトレヒトの場合はウィンガーが下がったらそこについて行って、そこにプレッシャーをかけに行ってもOK。
それで、もし裏に行ってもセンターバックがカバーして削って刈り取るという役目、考え方だったので。
その考えとある意味真逆だったのが代表でした。代表はどちらかというと自分のスペースをちゃんと守って、行き過ぎないでカバーするという形でした。
そこはどうしても頭でわかっていても、身体が反応してしまうので、難しい部分はありましたね。その為、裏にボールが出た時に、普段チームメイトがいるところにいない。そこは自分がケアをしなければいけない部分の違いなどは難しかったですね。
―― 国が違うとサッカーも大きく違いますもんね。メキシコ戦やトゥーロン国際などで、色々な国との対戦があったと思いますけど、手応えはどうでしたか?
边缘 周りが上手いと、これだけサッカーってシンプルになるんだなって感じました。
相手が速かったり強かったり、国によって長所は違いますけど、日本人の強みはアジリティだったり、パスの精度だったり、運動量だったりという部分で、周りのクオリティが上がれば、そのワンタッチのパスの精度が上がる、テンポも上がる、そこにミスがおきない。
それがどれだけ相手にとって脅威で、どれだけ僕たち自身が楽かという部分がわかりました。
オランダでサッカーをやっているとどうしても、ウィンガーの文化が強いので、「1対1をさせる」という部分に重点を置いたりするんです。
どうやってサイドを攻略するかに重きをおいているので、全然違いました。
―― オランダはウィンガーが1対1で勝って抜いていくんですね。
边缘 それが役目というか、重要になってくるんです。
―― 日本だったらワンツーを使って勝負を仕掛けないで裏に抜けることが多いですよね?
边缘 そうです。パスとコンビネーションで崩していく部分ですね。こっちはガンガン1対1をさせるので(笑)
―― だいぶ違いますね。当時の日本代表で、仲良くなった選手は?
边缘 裕也くん(久保裕也)や南野拓実選手です。やはり海外で、もう既にプレーしている選手に関しては、考え方というか、プレーしている環境が似ている部分があるので、話が合いました。
僕より一歩二歩先のレベルを既に経験されている選手なので、勉強になる話だったり、経験があったので、そこはすぐに仲良くなりましたね。
―― そういう出会いも含めて、もちろんリオ五輪のメンバーに最終的に選ばれなかったのは悔しいことだと思うんですけど、プラスになっていることは沢山ありますよね?
边缘 プロ一年目でそこまで経験させて頂いたというのが大きかったので、僕にとっては収穫でしかないんです。そこでプレーして得るものしかなかったので、本当に良い経験でした。
―― でもリオ五輪がある意味、手が届くところまで来ていたような状況だったではないですか。メンバー発表の時の悔しさはどんなものでしたか?
边缘 オリンピックに関してはもちろん行きたかったです。
オリンピックは人生で一度あるかないかという部分もありますけれど、どちらかというと、僕はそこで得た経験に関して、思っていた以上の修正点だったり、課題だったり、逆に出来た部分だったりという情報が一気に入って来たので、それをどれだけ整理して、いかに早く取り組めるかという部分でワクワクしていました。
―― その時のメンバーがA代表に入ったり、ワールドカップを戦いますよね。日本代表への想いはいかがですか?
边缘 代表ということに関しては、サッカー選手である以上、目指すべき場所ですし、かけがえのない時間というか、なかなか得られない経験ですので、そこは目指したいです。
でもそこばかりをずっと見ていると今が疎かになってしまうので。
―― まずは今日の練習、明日の練習、次の試合ですね。
边缘 そうです。一個一個修正して進んでいくことが大事ですね。それが結果的に恐らく代表に繋がっていくと思うので。
Vol.5へ続く
照片:Kikuchi Kohei