スペインで奮闘する田中陽子 Vol.1:海外移籍を決断した理由
今夏にスペイン女子1部リーグのスポルティング・ウエルバに移籍した田中陽子選手。9月に開幕したリーグ戦では開幕戦から出場し奮闘している。海外移籍を決めた理由やスパイクへのこだわりなど多岐に渡り聞かせて頂いた。
小池菊池
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2019/10/31
ーーまずはスペインに行こうと思ったきっかけを教えてください。
田中:元々スペインのサッカーが好きですし、国柄も天候も全て好きなんです。私が行くチーム(スポルティング・ウエルバ)は海側にありますが、海鮮が美味しいみたいで楽しみです。
ーーいくつか候補となる国があった中でスペインだったんですか?
田中:全ての条件が揃っていたのが、スペインでした。ヨーロッパに行きたいと考えていたのですが、フランスやドイツは気候的に寒いじゃないですか(笑)
今年のワールドカップでもヨーロッパ勢が強かったですよね。今、凄く力を入れているらしく、スペインリーグにも協会がお金を投資するみたいで、良いタイミングだなと感じました。
ーーそもそも海外に行こうと思ったきっかけは?
田中:昔から海外には行きたかったんです。実は高校を卒業したタイミングで、海外に行きたかったのですが、アイナック(INAC神戸レオネッサ)から話を頂きました。タイミング的にアイナックだと思い、入団しました。
その後にノジマ(ノジマステラ神奈川相模原)に移籍して、自分のなかで色々な準備が出来て、もう今なら行けると思い、そのタイミングで決めたんです。
ーー海外志向になったきっかけを教えてください。
田中:一番最初にサッカー選手で好きになったのが、当時ACミランにいたカカ(元ブラジル代表)でした。小学生の時です。
サッカー雑誌を買ったときの付録が、カカのポスターでDVDも付いていたんですよ。そこから海外サッカーをよく見るようになりました。プレーで凄いと思うことや、こんなプレーが出来るようになりたいと思うことが多かったんです。
ーーU20の日本代表の試合で、海外のチームに負けて悔しくて、更に海外志向になったりはしなかったですか?
田中:いや、なにかの試合がきっかけというのは今までも少なくて。自然とですね。
ーーカカに憧れた田中さんが、そもそも山口県でサッカーをはじめたきっかけは?
田中:幼稚園でボールを蹴って遊んでいたんです。家の近くにサッカースクールが出来て、母が連れて行ってくれました。
ーー当時、女子サッカーチームはほとんどないですよね?
田中:はい、男の子の中に混じってずっとやっていました。
ーーそこでスキルが磨かれていったんですね。海外で掴みたいことはなんですか?
田中:海外だと相手も強くて速くて、個が強いと思います。個が集まってチームになるのが一番強いと思っています。何が通じるのか、課題かは、まだわかりませんが、更に成長出来ると思うので楽しみです。
ーー日本人や日本代表の強みはなんだと思いますか?
田中:日本代表はどんな状況でも、90分みんなでまとまって戦えるのが強みだと思います。諦めないし、たんぱくにならないですよね。組織が強いと思います。
昔は技術も日本が上でしたが、今は海外の選手の技術も上がり、更にフィジカルが強く、組織化されてきているので、レベルは上がっていると思います。
――組織の日本、個の海外というようなイメージですか?
田中:ひとりひとりを見るとやはり海外の方が強いなと思います。日本も個々の力がそこまで伸びていければ、さらに強くなるんじゃないかなと思います。
海外の選手と混じってサッカーをすると感覚が全然違うと思いますが、新しいことが好きなので楽しみです。
――所属先チームがあるスペインの代表チームはどんなイメージがありますか?
田中:スペイン代表は強いです。昔に試合をして負けたんですよ。
――通算で6年半くらいに渡り国内でプレーされましたが、その間に海外に行かなかった理由は?
田中:自分の中でその時は日本のリーグの方が強いと感じ、日本にいたほうがいいかなと思ったんです。
あとは身体の状況が大きかったです。高校1年の時に左足を疲労骨折で手術をして、半年間プレーできなかったんです。その時から思うように左足が踏み込めなくなってしまったんですよ。
それをカバーする為に、右足で踏み込んで左足でも蹴れるようになりましたが、左足で踏み込めないことから身体のバランスがおかしくなって、肩こりなどもでてしまって日常生活もきつくなりました。
――長らく左足の疲労骨折の影響が尾を引いたんですね。
田中:それをまず治すために色々なトレーニングやケアをしてきました。今になりようやく身体が戻ってきて、やっと楽しくプレー出来るようになってきました。
身体も万全になったし、今なら海外に行けると思って決断しました。
――よく万全ではない中でずっとプレー出来てましたね。
田中:身体が柔らかかったりするので、違うところに逃がしたりして、プレーは出来たんです。プレーは出来るけど、身体がきつい状態になってしまう状態が続いていたんです。
――プレーは出来るけれど、どこかしら痛いというような状態だったんですか?
田中:痛いというかきつい状態が続いていました。例えば、左足は大丈夫でも、右足の筋肉が固まってしまい、身体がだるいというようなことが続きました。
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写真:菊池康平
田中:元々スペインのサッカーが好きですし、国柄も天候も全て好きなんです。私が行くチーム(スポルティング・ウエルバ)は海側にありますが、海鮮が美味しいみたいで楽しみです。
ーーいくつか候補となる国があった中でスペインだったんですか?
田中:全ての条件が揃っていたのが、スペインでした。ヨーロッパに行きたいと考えていたのですが、フランスやドイツは気候的に寒いじゃないですか(笑)
今年のワールドカップでもヨーロッパ勢が強かったですよね。今、凄く力を入れているらしく、スペインリーグにも協会がお金を投資するみたいで、良いタイミングだなと感じました。
ーーそもそも海外に行こうと思ったきっかけは?
田中:昔から海外には行きたかったんです。実は高校を卒業したタイミングで、海外に行きたかったのですが、アイナック(INAC神戸レオネッサ)から話を頂きました。タイミング的にアイナックだと思い、入団しました。
その後にノジマ(ノジマステラ神奈川相模原)に移籍して、自分のなかで色々な準備が出来て、もう今なら行けると思い、そのタイミングで決めたんです。
ーー海外志向になったきっかけを教えてください。
田中:一番最初にサッカー選手で好きになったのが、当時ACミランにいたカカ(元ブラジル代表)でした。小学生の時です。
サッカー雑誌を買ったときの付録が、カカのポスターでDVDも付いていたんですよ。そこから海外サッカーをよく見るようになりました。プレーで凄いと思うことや、こんなプレーが出来るようになりたいと思うことが多かったんです。
ーーU20の日本代表の試合で、海外のチームに負けて悔しくて、更に海外志向になったりはしなかったですか?
田中:いや、なにかの試合がきっかけというのは今までも少なくて。自然とですね。
ーーカカに憧れた田中さんが、そもそも山口県でサッカーをはじめたきっかけは?
田中:幼稚園でボールを蹴って遊んでいたんです。家の近くにサッカースクールが出来て、母が連れて行ってくれました。
ーー当時、女子サッカーチームはほとんどないですよね?
田中:はい、男の子の中に混じってずっとやっていました。
ーーそこでスキルが磨かれていったんですね。海外で掴みたいことはなんですか?
田中:海外だと相手も強くて速くて、個が強いと思います。個が集まってチームになるのが一番強いと思っています。何が通じるのか、課題かは、まだわかりませんが、更に成長出来ると思うので楽しみです。
ーー日本人や日本代表の強みはなんだと思いますか?
田中:日本代表はどんな状況でも、90分みんなでまとまって戦えるのが強みだと思います。諦めないし、たんぱくにならないですよね。組織が強いと思います。
昔は技術も日本が上でしたが、今は海外の選手の技術も上がり、更にフィジカルが強く、組織化されてきているので、レベルは上がっていると思います。
――組織の日本、個の海外というようなイメージですか?
田中:ひとりひとりを見るとやはり海外の方が強いなと思います。日本も個々の力がそこまで伸びていければ、さらに強くなるんじゃないかなと思います。
海外の選手と混じってサッカーをすると感覚が全然違うと思いますが、新しいことが好きなので楽しみです。
――所属先チームがあるスペインの代表チームはどんなイメージがありますか?
田中:スペイン代表は強いです。昔に試合をして負けたんですよ。
――通算で6年半くらいに渡り国内でプレーされましたが、その間に海外に行かなかった理由は?
田中:自分の中でその時は日本のリーグの方が強いと感じ、日本にいたほうがいいかなと思ったんです。
あとは身体の状況が大きかったです。高校1年の時に左足を疲労骨折で手術をして、半年間プレーできなかったんです。その時から思うように左足が踏み込めなくなってしまったんですよ。
それをカバーする為に、右足で踏み込んで左足でも蹴れるようになりましたが、左足で踏み込めないことから身体のバランスがおかしくなって、肩こりなどもでてしまって日常生活もきつくなりました。
――長らく左足の疲労骨折の影響が尾を引いたんですね。
田中:それをまず治すために色々なトレーニングやケアをしてきました。今になりようやく身体が戻ってきて、やっと楽しくプレー出来るようになってきました。
身体も万全になったし、今なら海外に行けると思って決断しました。
――よく万全ではない中でずっとプレー出来てましたね。
田中:身体が柔らかかったりするので、違うところに逃がしたりして、プレーは出来たんです。プレーは出来るけど、身体がきつい状態になってしまう状態が続いていたんです。
――プレーは出来るけれど、どこかしら痛いというような状態だったんですか?
田中:痛いというかきつい状態が続いていました。例えば、左足は大丈夫でも、右足の筋肉が固まってしまい、身体がだるいというようなことが続きました。
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写真:菊池康平