著書『リング」に立つための基本作法』絶賛発売中 オカダ・カズチカが語る新日本プロレス50周年への想い
2021年12月26日(日)、幻冬舎にて、テレビ、新聞、雑誌、ウェブメディアを対象にしたオカダ・カズチカ著『「リング」に立つための基本作法』(幻冬舎刊)出版記念トークセッションが行われた。
白鸟淳一
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2022/01/31
午後1時、オカダが登壇、トークセッションがスタート。まずは本について、オカダがふり返った。本を開き、歩き姿の自分を見るオカダ。
「この最初の写真の僕、カッコいいですよね」自画自賛する。「この日、土砂降りだったんですよ。でも、撮影の時間には雨が上がって、空には虹がかかって、やっぱり、持ってるな、と思いましたね」満足そうな笑顔を見せる。
そして、文章については――、「活字になっても、オカダ・カズチカはオカダ・カズチカだな、と思いましたね。僕、あまり挫折したことがなくて、そういう話も本の中にはあったほうが本当はよかったんですけれど、あまりなくて」
2021年、オカダは新日本プロレスの最強戦士を決めるリーグ戦「G1 CLIMAX 31」で見事優勝を飾っている。1ヵ月にわたるリーグ戦では、特別の思いがあったそうだ。
「初戦は大阪で、棚橋(弘至)さんと闘いました。最初に僕が入場して、リング上で棚橋さんを待っているときに、10年前の大阪がよみがえりましたね。あの日、初めてのIWGPヘビー級王座のタイトルマッチで、チャンピオンは棚橋さん。
チャレンジャーの僕が先に入場して待っていました。今回のG1も僕が先に入場して、10年前と同じ風景。ちょっと泣きそうになりました。泣いてないですけどね(笑)」
後楽園ホールでのYOSHI-HASHI戦もジーンと来たそうだ。「YOSHI-HASHIさんとはほぼ同期です。僕はYOSHI-HASHIさんの少し後に新日本プロレスに入門しました。
道場では僕たちだけがデビューしていなくて。デビュー前の練習生は外出禁止なんです。2人で洗濯をして、2人で掃除をして、2人でちゃんこ番をしていました。寮も同じ部屋です。
デビュー後は、第0試合でYOSHI-HASHIさんと何度も何度も闘いました。だから、G1 CLIMAX 31でタックルにいったとき、組んだとき、これがYOSHI-HASHIさんだな、と。場所も後楽園ホールだったので、懐かしい気持ちになりましたね。入門して15年を経て、僕たちもG1の舞台で闘うようになったんだ、と感慨がありました」
『「リング」に立つための基本作法』では、昭和プロレスのレジェンド、アントニオ猪木、天龍源一郎についても書いている。「猪木さんのことは、若手のころからずっと気になっていました。
僕が新日本に入門したときは、道場に猪木さんの写真が飾られていたんです。でも、いつのまにかなくなり、新日本のライオンのマークに替わっていた。会えない存在なのかな、と思っていました。初めてお目にかかったのは2017年のテレビ番組『プロレス総選挙』のときです。その後食事会でもお話しました。
猪木さんが昔のエピソードを話してくれて、知ってるか? と。僕が生まれる前の話なので、すみません、知りません!と言うと、猪木さんが長州力さんを呼んで、長州さんが説明してくれたので、申し訳なくて」
今、病床にある猪木は、テレビ番組やYouTubeでありのままの自分で出演し、話をしている。 「みんなを元気にしてくれるのが猪木さん。回復して元気な姿を見せていただきたいです。元気があればなんでもできますからね。また会場にも来てもらえたら」
オカダは天龍と、天龍の引退試合で闘っている。「ふつう引退試合はかつて闘った同世代の選手とやりますよね。でも、天龍さんは現役のトップレスラーの僕を相手に選びました。しかも、本気で勝つ気で向かってきて、カッコよかったです。すごい選手でした」
著書でも打ち明けているが、オカダは毎日日記を書いている。身長191センチ、体重107キロのオカダが、その日の出来事を細かくつけている姿は想像できない。
「タブレットに、よかったことは赤で、残念だったことは青で書いています。この本には書いていないんですけど、最近、運のよかったことも書くようにしているんです。たとえば、右脚をけがしたら青ですよね。でも、左脚が元気ならば闘えるので、運がよかったな、と。そうするとプラスマイナスでプラスになって、毎日が幸せでいられます」
プライベートの話では、失恋についても語った。「本にも書いていて、実は妻が読んだらどう思うかな、ヤキモチを妬くかな、と心配していました。でも、僕が出かけているときに読んだみたいで」ありのままの夫を受け入れてくれたそうだ。「こういう失敗をいろいろしてくれてたから今のあなたがいるんだね、と言ってくれました」
出版記念トークセッションでは、2022年への意気込みについても語った。
2022年は新日本プロレス設立50年の記念の年。そしてオカダが初めてIWGPヘビー級のベルトを巻いて10年の年でもある。「新日本の50周年は、正直なところ、それほど意識はしていません。
周年の年も、そうでもない年も、闘うことには変わりありませんから。でも、新日本の長い歴史の中で、名レスラーと言われた人、たくさんいらっしゃいますよね。アントニオ猪木さん、藤波辰爾さん、長州力さん、武藤敬司さん、蝶野正洋さん、橋本真也さん、棚橋さん、そして僕、今の時代になるわけですけど……。その歴史のなかに自分の名前も刻まれたら、それは名誉だと感じています」
「この最初の写真の僕、カッコいいですよね」自画自賛する。「この日、土砂降りだったんですよ。でも、撮影の時間には雨が上がって、空には虹がかかって、やっぱり、持ってるな、と思いましたね」満足そうな笑顔を見せる。
そして、文章については――、「活字になっても、オカダ・カズチカはオカダ・カズチカだな、と思いましたね。僕、あまり挫折したことがなくて、そういう話も本の中にはあったほうが本当はよかったんですけれど、あまりなくて」
2021年、オカダは新日本プロレスの最強戦士を決めるリーグ戦「G1 CLIMAX 31」で見事優勝を飾っている。1ヵ月にわたるリーグ戦では、特別の思いがあったそうだ。
「初戦は大阪で、棚橋(弘至)さんと闘いました。最初に僕が入場して、リング上で棚橋さんを待っているときに、10年前の大阪がよみがえりましたね。あの日、初めてのIWGPヘビー級王座のタイトルマッチで、チャンピオンは棚橋さん。
チャレンジャーの僕が先に入場して待っていました。今回のG1も僕が先に入場して、10年前と同じ風景。ちょっと泣きそうになりました。泣いてないですけどね(笑)」
後楽園ホールでのYOSHI-HASHI戦もジーンと来たそうだ。「YOSHI-HASHIさんとはほぼ同期です。僕はYOSHI-HASHIさんの少し後に新日本プロレスに入門しました。
道場では僕たちだけがデビューしていなくて。デビュー前の練習生は外出禁止なんです。2人で洗濯をして、2人で掃除をして、2人でちゃんこ番をしていました。寮も同じ部屋です。
デビュー後は、第0試合でYOSHI-HASHIさんと何度も何度も闘いました。だから、G1 CLIMAX 31でタックルにいったとき、組んだとき、これがYOSHI-HASHIさんだな、と。場所も後楽園ホールだったので、懐かしい気持ちになりましたね。入門して15年を経て、僕たちもG1の舞台で闘うようになったんだ、と感慨がありました」
『「リング」に立つための基本作法』では、昭和プロレスのレジェンド、アントニオ猪木、天龍源一郎についても書いている。「猪木さんのことは、若手のころからずっと気になっていました。
僕が新日本に入門したときは、道場に猪木さんの写真が飾られていたんです。でも、いつのまにかなくなり、新日本のライオンのマークに替わっていた。会えない存在なのかな、と思っていました。初めてお目にかかったのは2017年のテレビ番組『プロレス総選挙』のときです。その後食事会でもお話しました。
猪木さんが昔のエピソードを話してくれて、知ってるか? と。僕が生まれる前の話なので、すみません、知りません!と言うと、猪木さんが長州力さんを呼んで、長州さんが説明してくれたので、申し訳なくて」
今、病床にある猪木は、テレビ番組やYouTubeでありのままの自分で出演し、話をしている。 「みんなを元気にしてくれるのが猪木さん。回復して元気な姿を見せていただきたいです。元気があればなんでもできますからね。また会場にも来てもらえたら」
オカダは天龍と、天龍の引退試合で闘っている。「ふつう引退試合はかつて闘った同世代の選手とやりますよね。でも、天龍さんは現役のトップレスラーの僕を相手に選びました。しかも、本気で勝つ気で向かってきて、カッコよかったです。すごい選手でした」
著書でも打ち明けているが、オカダは毎日日記を書いている。身長191センチ、体重107キロのオカダが、その日の出来事を細かくつけている姿は想像できない。
「タブレットに、よかったことは赤で、残念だったことは青で書いています。この本には書いていないんですけど、最近、運のよかったことも書くようにしているんです。たとえば、右脚をけがしたら青ですよね。でも、左脚が元気ならば闘えるので、運がよかったな、と。そうするとプラスマイナスでプラスになって、毎日が幸せでいられます」
プライベートの話では、失恋についても語った。「本にも書いていて、実は妻が読んだらどう思うかな、ヤキモチを妬くかな、と心配していました。でも、僕が出かけているときに読んだみたいで」ありのままの夫を受け入れてくれたそうだ。「こういう失敗をいろいろしてくれてたから今のあなたがいるんだね、と言ってくれました」
出版記念トークセッションでは、2022年への意気込みについても語った。
2022年は新日本プロレス設立50年の記念の年。そしてオカダが初めてIWGPヘビー級のベルトを巻いて10年の年でもある。「新日本の50周年は、正直なところ、それほど意識はしていません。
周年の年も、そうでもない年も、闘うことには変わりありませんから。でも、新日本の長い歴史の中で、名レスラーと言われた人、たくさんいらっしゃいますよね。アントニオ猪木さん、藤波辰爾さん、長州力さん、武藤敬司さん、蝶野正洋さん、橋本真也さん、棚橋さん、そして僕、今の時代になるわけですけど……。その歴史のなかに自分の名前も刻まれたら、それは名誉だと感じています」