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FC町田ゼルビア“相馬勇紀”「迷いも苦しみも、すべては前に進むために」

あの夏、すべてが順風満帆に思えた。ヨーロッパで磨いた技術と自信を手に、日本へ帰還。FC町田ゼルビアでの新たな挑戦は、きらびやかな航海のはずだった。だが、現実は違った。足を踏み出すたび、身体が悲鳴を上げる。心も体も、彷徨い続けた数カ月。それでも、彼は歩みを止めなかった。ポルトガルの地で掴んだ「型」という武器。そして、いま胸に宿す静かな覚悟。相馬勇紀――“彷徨の半年”を越えた先に、彼が見据えるものとは何か。※トップ画像撮影/松川李香(ヒゲ企画)

图标Ippei Ippei | 2025/05/14

「彷徨の半年、覚悟の現在地」

2024年夏、相馬勇紀はポルトガルから帰国し、FC町田ゼルビアのユニフォームに袖を通した。チームは大きな期待を込め、彼を迎え入れた。しかし、再出発の半年間は、誰もが描いた物語とはほど遠いものだった。

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撮影/松川李香(ヒゲ企画)

「本当にケガに苦しんでいました。自分の力を出し切れなかったし、何より、期待に応えたいのに応えられない。それが悔しくてしょうがなかったです」
足を踏み出すたび、痛みが叫んだ
その原因は、代表戦での一瞬の衝撃――足の裏に受けた打撃が、彼の歩みを狂わせた。表向きは「打撲」とされたが、その痛みは想像をはるかに超えていた。
「足をつくのもつらいレベルでした。シリア戦には、痛み止めを飲んで出場しましたけど……あれは今思えば、無理してたなって」
名古屋に一時戻った後も、状況は変わらなかった。完治しないまま走り続けたことで、傷は深く根を張った。しかも、その時期は「家」さえ持たず、義理の両親の家に身を寄せていたという。

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撮影/松川李香(ヒゲ企画)

「心身ともに落ち着かない時間が続いていました。ああいう時期こそ、本当に気をつけなきゃいけないんだって痛感しました」
夢と希望を胸に飛び込んだ新天地。だがその海には、静かな波だけでなく、目に見えない激流も潜んでいたのだ。

ACL出場、安堵の中に灯ったもの

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撮影/清水和良

苦しみ抜いた半年の末、FC町田ゼルビアはACL出場権を掴んだ。歓喜よりも、むしろ安堵に近い感情。だが、相馬は静かに、力強く次を見据えていた。
「もう『チームで一番結果を出す』って決めてます。その思いは、ずっと変わってない」迷わず前を向ける理由があった。ポルトガルでの1年半――異国の地で培った「自分の型」が、相馬の中にはっきりと存在していた。

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撮影/松川李香(ヒゲ企画)

「海外に行ってから、自分の中で“型”ができたんです。ボールを失わないための工夫だったり、相手を抜くためのパターンだったり。それをいくつか持てたことで、プレーしていても不安がないんですよね」ピッチで起こるすべての出来事に、瞬時に完璧な対応などできるわけがない。だが、“確かな型”を持つ選手は、迷わず次の一歩を踏み出せる。
「例えば久保選手や堂安選手も、そういう型を持っていると思います。左足で持ったときに『この位置なら何でもできる』っていう場所がある。自分の置き所を知っていて、そこからなら迷いなく仕掛けてくる」同じピッチで相まみえたとき、その“確信”は圧倒的な存在感を放つ。そして相馬自身も、今、自らの“型”を胸に、どんな荒波も恐れず進んでいく。

「ヨーロッパから日本へ──“サッカーの風景”が違った」

相馬がFC町田ゼルビアに加わって、およそ1年が経とうとしている。その日々のなかで、彼が改めて感じたのは、「環境のありがたさ」だった。

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撮影/松川李香(ヒゲ企画)

「ポルトガルでは、ベンフィカとかポルト、スポルティングみたいなビッグクラブは毎試合5万人とか入ってて、いわゆる“ザ・ヨーロッパ”っていう雰囲気だったんです。でも、それ以外になると……僕のいたチームなんか、10人とか15人くらいのサポーターしかいないときもありました(笑)」その過酷な現実を経て、日本のスタジアムに戻ってきたとき、目の前に広がる景色が違って見えた。

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撮影/松川李香(ヒゲ企画)

「綺麗なピッチで、こんなにたくさんの人が応援してくれる。ありがたさを、改めて感じましたね。やっぱり“応援の力”ってすごいんだなって」
サポーターの存在は、選手の背中を押す確かな追い風になる。

「“奪う守備”と“守る守備”、その間に揺れる感覚」

環境と同じように、サッカーそのものも国によって大きく異なる。特に“守備”の概念は、日本とポルトガルでは対照的だった。
「日本は“ゴールを守る守備”って感じなんです。ブロックを作って、相手の攻撃をいかに耐えるか。とても組織的で、クレバーな守備ですよね」対してポルトガルは、「奪う」ことが優先された。
「とにかく前から取りにくる。ガツガツ。最初は戸惑いましたよ。ドリブルで相手の出方を見ながら抜くタイプなので、『あれ? 来てくれないとタイミング取れない…』って(笑)」

それはまさに、サッカー文化の違い。

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撮影/松川李香(ヒゲ企画)

「ヨーロッパだと“取りに行けないなんて、何してんだ”ってなるんですよ。でも、日本は“無理に行かずに我慢する守備”も重視されてる。どっちが正しいって話じゃなくて、両方に学びがありました」異なる価値観、異なるアプローチ。そのどちらにも身を置いたからこそ、相馬は語ることができる。
「守備ひとつとっても、サッカーって奥深いなって思います」今、その両方を融合させたスタイルが、彼のプレーの中に息づいている。


▼試合情報

日程:5月17日(土)14:00キックオフ
対戦:柏レイソル
場所:町田GIONスタジアム
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相馬勇紀(そうま・ゆうき)
1997年2月25日生まれ。ポジションはFW。布田SC、三菱養和調布SS、同ジュニアコースおよびSCユースを経て早稲田大学に進学。名古屋グランパス、鹿島アントラーズ、カーザ・ピアAC(ポルトガル)でプレーした後、2024年よりFC町田ゼルビアに所属。