青木宣親、21年間の栄光と苦悩ーあがき葛藤し続け「あきらめなかった」日本球界を代表する選手となった野球人生の軌跡
今シーズン限りで、21年間のプロ生活に終止符を打った青木宣親。NPB史上唯一、二度のシーズン200安打。WBCでの2度の世界一への貢献。さらにはMLBでのワールドシリーズ出場。古巣に戻り悲願の日本一を達成し、日米通算2730安打を記録するなど、華やかな野球人生だったように見える青木選手。配信サービス「Lemino」のドキュメンタリー番組『Number TV』で青木選手の口から語られたのは、挫折と葛藤。そして支えてくれる人たちとの絆だった。※トップ画像出典/Getty Images
野球人生を変えた恩師との出会い
今でこそ多くの人が知る野球選手となった青木選手だが、高校時代は無名の存在だった。高校最後の試合での敗戦で「好きだった野球を全力でやれていなかった」と後悔が残った。もう一度、真摯に野球と向き合い、プロを目指すという大きな決断をする。高校卒業後は、指定校推薦のあった早稲田大学へ入学した。
この時の早稲田は“黄金時代”と呼ばれ、青木選手は大学野球の厳しさを目の当たりにする。この大学時代の恩師として番組で紹介されたのが、野球部監督だった野村徹さん。野村さんは、青木選手の持ち味を発揮できるバッティングを徹底的に教え、最大の弱点でもあった“心の弱さ”も見抜いていた。そこが強くなれば、必ずいい選手になると信じて指導を続けた。
当時を振り返り、青木選手は「本当になにもわかっていなくて、毎日のように怒られていた。1年生の終わり頃に、初めて野球をやめたいと思った」と明かす。
「この4年間で心の在り方が変わった。メンタルを整えることがまず大切で、体や技術はあとからついてくるのだと学んだ。この考え方が確立した状態でプロ入りできたことが、21年間現役生活を続けられた理由のひとつだと思います」恩師との出会いが、のちの野球人生に大きな影響を与えることとなった。
プロ生活での葛藤と挑戦の日々
大学を卒業すると、ドラフト4位でヤクルトスワローズに入団。しかしオープン戦では打てず、すぐに大きな壁に直面する。「1年目はファームだと腹をくくりましたね。とにかく結果を出すことにこだわりました」プロ1年目は二軍で首位打者、最高出塁率という結果を残し、2年目で開幕一軍の座を勝ち取る。
しかし、なかなか結果を出せず、当時チームの先輩だった古田敦也からのアドバイスでバッティングホームを改善。すると、翌年の2005年にはプロ野球史上2人目のシーズン200本安打を達成し首位打者と新人王を獲得した。
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2006年と2009年には、WBC日本代表に2度選出。「代表での活動はプロフェッショナルで刺激的だった」と語り、連覇に貢献して大会ベストナインに選ばれた経験がメジャーリーグへ挑戦したいという想いをより一層強くしていった。
2010年には『ミスタースワローズ』の象徴である背番号1を託される。周囲からの大きな期待とは裏腹に「自分のプレーに対して自信がもてなかった時期だった。背番号1を背負ってプレーすることがプレッシャーになっていた」と苦しい胸の内を語った。折れそうだった青木選手の心を救ったのが、兄のように慕うチームメイトの石川雅規の叱咤激励。そして、メジャーリーグ挑戦に向けた強い気持ちだった。
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メジャーリーグでの大きな挫折を救った言葉
日本での実績を引っ提げ、ついに青木選手のメジャーリーグ挑戦が始まった。
「苦しかったですけど、楽しかったですね。雰囲気も考え方も何もかも違う。連戦が続くのでとにかく体力勝負でした。体のケアやトレーニングが本当に大切だと感じました」専属トレーナーの原田正章さんは、自身の治療院をたたみ、一緒に海を渡ってともに戦った。青木選手は「一緒に来てくれないと戦えないとは伝えたが、相当な覚悟をもって来てくれた。本当に助けられた」と感謝を伝えた。
メジャーリーグ3年目、ブルワーズからロイヤルズへトレード移籍した青木選手は、環境の変化に対応できず、怪我が重なったこともあり、大きな挫折を味わう。そんな青木選手を救ったのが、尊敬する鈴木一郎(イチロー)の一言だった。
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「何をやっても打てないとイチローさんに相談をした。そうしたら『考えてもダメだったらもっと考えてみたら』という言葉をくれた。当然これまでも考えて、なんとか打てるようにはしてきた。でも、もう考えることができないくらいになって、いつのまにかあきらめてしまっていた」ことに気づかされたという。「あの時のイチローさんの一言がなければ、今の自分はいないかもしれない」と語るほど大切な言葉だった。
そして再び自分と向き合うと、徐々に調子を取り戻し、ワールドシリーズ出場という快挙を果たす。「あきらめなかったこと。それが全てですね。あきらめなければ大抵のことはできると思っているので。寝ている時以外はずっと野球のことを考えていました」どん底から復活までを経験した1年だった。
日本球界へ復帰して悲願の日本一達成
その後、6年間で7球団を渡り歩き、低迷するヤクルトスワローズを支えるため7年ぶりに日本球界へ復帰する。帰国後は若手の育成に励み、あきらめないことの大切さ、日々の取り組みの大切さを、毎日のように後輩たちに伝え続けた。2021年には、日本人選手として史上4人目の快挙となる日米通算2,500安打を記録。さらに、この年はチームを6年ぶりのリーグ制覇に導き、悲願の日本一を達成した。
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2024年10月2日、青木選手は21年間の現役生活に別れを告げた。華やかに見えるキャリアの中で、多くの葛藤や逆境を乗り越えてきたその原動力は「様々な出会いだった」と青木選手は言う。
「出会いは宝物。そういう人たちがいてくれたおかげで、自分がいま幸せな人生を歩めている。間違いなくそう言い切れます」
青木選手にとっての挫折とは「より高みを目指していけるもの。自分の成長に欠かせないもの」だった。現役生活最後の試合、球場は青木選手の背番号23番で埋め尽くされていた。たくさんの人から愛された青木選手の新たなステージは、まだ始まったばかりだ。
『NumberTV』 挫折地点~あのとき前を向いた理由~
タイトル:#8 青木宣親
配信日:2024年11月7日(木)0:00~ 全24回配信(月2回配信予定)
内容:トップアスリートの「挫折」と「復活」をテーマにしたドキュメンタリー番組。過去の写真が飾られた特別な空間(Number Room)で、アスリート本人がこれまでの人生を振り返り、挫折の瞬間や前を向けた理由について語る。
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