首席执行官第1号的故事长泽志贵(Hakubaku有限公司)第4卷“彼此竞争的关系!”与Hakuhaku和Van Furet甲府的美妙和愉快的关系
新企画はじめます。KING GEARには「スポーツの主役は選手だけではない」というポリシーがあります。スパイクの無い選手、グローブの無いキーパー、スポンサーの無いチームは選手がプレーできません。スポンサーにスポットライトをあてる企画を行うのは以上の理由からです。Vol.4では、はくばくとヴァンフォーレ甲府の不思議で幸せな関係について深く聞いていきます。
小池菊池
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2017/07/02
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――わかりやすいですが、ストレート過ぎるチーム名ですね(笑)
長澤 まあ、シンゲンズの話はそれで終わったんですよ。私がサポートする意思を示したもんで海野さんから携帯に電話が掛かってきて「今日がユニホームスポンサーの締め切り日なんだけど、胸スポンサーをやってくれねぇか?」と言われました。
この前出した予算感として、そのブランドコンサルティング会社に払う金額は頭に入ってたんですよ。今返事くれって言われたので、その半額だったら良いですよ!って言って値切ってその場でOKを出して、胸スポンサーに入ったというのが経緯です。今その金額は言えないことになってるんですけどね。
――すごいインパクトがありますよね。「はくばく」ってひらがなで入っていて。
長澤 ひらがなでね!電話で「ひらがなでいいですし、白と青ならいいです!」って言いました。もう時間がなかったですからね。
――実際にスポンサードしてみて、予想していたことと、予想とは違ったことなど何かありましたか?意外と問い合わせが会社にきたりとか。
長澤 サポートしたばかりの最初の年は最下位でした。 ひとつ感じたのは我々が胸スポンサーに入ったことで潮目が変わったっていうかね。
やっぱりそれまではヴァンフォーレはダメだろうって皆思ってたし、私も半ばそう思っていました。でも、我々が胸のスポンサーについて雰囲気や空気が変わったっていうかね。
「はくばくがついたんだったら何とかなるんじゃないか!」みたいな空気を感じました。
その空気や、はくばくさんがついたならばっていう呼び水になったのが我々の1つの成果だと思うんですよ。その時は皆ネガティブだったから。
――もうチームがなくなるのではっていうところまで追い詰められていた時期がありましたもんね。
長澤 当時はみんなちょっと距離を置いてましたよね。今だとヴァンフォーレって完全にメディアじゃないですか、非常に良いね。その当時はボロボロですからね!
その当時に胸スポンサーに付くってことに関して、うちの会長(親父)に報告したらまず最初に「お前大丈夫か!?」って言われました。
どういう意味かというと弱いチームに「はくばく」って付けてうちのブランドイメージ悪くならないかって言われたんですよ。「まぁ、大丈夫でしょ!」って返しましたけど。
――そこから上がったり、下がったりしたこともありましたけど、どんどんヴァンフォーレの名前は知られていくことになりましたね。
長澤 特に圧巻なのはJ1に上がることを決めた2005年です!
――柏レイソルとの入れ替え戦は私もよく覚えています。
長澤 第1試合目は試合終盤の盛り上がっている時にスタジアム全体の電気が消えちゃうっていうあり得ないハプニングもありましたけど、良い試合でしたね。
――2試合目も凄い展開でしたよね!
長澤 まさかあんな展開になるとはね。
――バレーがたくさん点取ってましたよね。
長澤 2試合目は6点取ってたね!! あの時のヴァンフォーレの予算規模は6億とか7億とかですよ。 そのチームがJ1に上がるとは思ってなかったしね。
その当時に海野さんが「今年は上がらない方が良い、来年が良い。」とか言ってて。 私は「そんな来年が絶対に行けるとは思わないから今年行った方が良いですよ。」って言ったんですよ。
そしたら「いやいや、まだうちはそういうレベルではないんだ。」とか言ってました。 結果、J1に昇格し、川淵さんが来て「僕が生きてる間にJ1行くとは思わなかったよ。」って仰ってました。
――本音だったんでしょうね(笑)
長澤 そこまで言わなくて良いんだけど。って海野さんは言ってたけど(笑)
――2006年にJ1に昇格して社内も盛り上がりましたね!
長澤 そうそう当時、ちょうど翌年用(2006年用)の会社の新しいCMを用意してたんですよ。J1昇格にピタッと合ったんだよね。昔はちょっと子供っぽいロゴだったんですよ。
それをちょうどこの今のはくばくのロゴに変える事に決めていて。 J1に上がってくれたからメデイアとしての価値が全然違うじゃないですか!バッチリだなって思って。そういう所も嬉しかったですけどね。両方いいタイミングだな~!って思いましたよ。
――自分達の会社がJ1のチームをサポートしてるって社員の皆さんは誇りに思っているんじゃないですか?
長澤 そう思っている人は多いと思いますよ。段々誇りというか我々の責任みたいになってる気がするんですよ。なんて言うのかな。うちが支えなきゃいけないみたいな。もう外れることは出来ないなと思ってますよ。単なるスポンサーじゃないからね、うちは!
――家族みたいなもんですかね?
長澤 そうですね。お互い刺激をしあって、切磋琢磨してね。 「お互いが競争する関係だ!」って私が良く言うんですけど、ヴァンフォーレが先にJ1に行っちゃったけど、うちはまだ地方の山梨県のメーカーじゃないかと。日本のはくばくになる為に頑張ろうって刺激を受けていますよ。
――すごくいい関係ですね。
長澤 不思議な関係ですよね。こういうスポンサーって他のチームでもあんまりないと思いますよ。
――Jリーグを観てきたからというのもありますが、私の中でもヴァンフォーレ=はくばくっていうイメージは凄くありますね。
長澤 特殊な位置づけですよね。15年やってる中で胸スポンサーから1度背中のスポンサーにまわったことがあったんです。もっとうちの会社よりも出す所があったら当然「胸スポンサー」はそこの会社にやってもらった方がヴァンフォーレの為にも良いと思うし、本当は残念だけども、うちは成長スピードに負けたってその時にそういう話をしたんですよ。
ヴァンフォーレはそれだけのお金を貰えるチームになったけど、うちは出せなかったんだ、うちの成長スピードが負けたんだっていうね、説明をしたんですよ。それが結構ブログで反響を呼んだこともありました。
――でも1年でまた胸スポンサーに返り咲きましたね。
長澤 結果的にはまたうちが戻ってきたという感じで。今後もそういうスタンスでいますけどね。うち以上にお金を出してくれる企業が現れれば背中で良いですよと。うちはそういう存在ですから。うちが出す金額も決まっているしそういう感じなんですよ。
――すごく良い信頼関係ですよね。
長澤 そうですね。ヴァンフォーレのスタッフの方から「はくばくさんは何かうちを使ってもっとPRなどやった方がいいんじゃないですか?」って言われるんだけど、うちはそういう事よりも、ちゃんと支えてるってことに価値があると思うので。
またある広告代理店に言われた事もあるんですよ。「もっとはくばくさんはヴァンフォーレを使ってもっと要求していった方が良いですよ。」って。
なんかスポーツマネジメントを学んできた方みたいでアドバイスしてくれたんですよ。 でも、そういう事を言い出しちゃうと本当に大事な価値を見失うじゃないですか。
うちがヴァンフォーレを利用して、何かしようとかないから、逆にこの活動が価値を持っているのであって、それをうちがやろうとしたら普通のスポンサーと一緒になっちゃうと思うんですよ。
それが縁の切れ目で、じゃあ利用してもらったらおしまいとか、そういうメデイアとしてのお付き合いになっちゃいますしね。
そことは一線を画すっていうのが私は大事だと思うんですよ。 一見なんか損しているように思えるかもしれませんが、そういうところはやらないことが実は価値があると思うんです。机上の勉強ではそういう事はないでしょうね、スポーツマネジメントの学校ではそういうことはないでしょう。
――数字とか費用対効果などの話になりますもんね。
長澤 そうなるよね。なんか計算するとね、うちは割に合わないらしいんですよ(笑) うちのやっている事は。うちは全然合っていると思ってるんですけどね。数字などそれ以外の目に見えないもの、今日だってこうやって取材に来てもらえたのもそういう事だと思うんですよ。
vol.5に続く 7月3日公開予定。
取材協力/株式会社はくばく
写真/菅優樹
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――わかりやすいですが、ストレート過ぎるチーム名ですね(笑)
長澤 まあ、シンゲンズの話はそれで終わったんですよ。私がサポートする意思を示したもんで海野さんから携帯に電話が掛かってきて「今日がユニホームスポンサーの締め切り日なんだけど、胸スポンサーをやってくれねぇか?」と言われました。
この前出した予算感として、そのブランドコンサルティング会社に払う金額は頭に入ってたんですよ。今返事くれって言われたので、その半額だったら良いですよ!って言って値切ってその場でOKを出して、胸スポンサーに入ったというのが経緯です。今その金額は言えないことになってるんですけどね。
――すごいインパクトがありますよね。「はくばく」ってひらがなで入っていて。
長澤 ひらがなでね!電話で「ひらがなでいいですし、白と青ならいいです!」って言いました。もう時間がなかったですからね。
――実際にスポンサードしてみて、予想していたことと、予想とは違ったことなど何かありましたか?意外と問い合わせが会社にきたりとか。
長澤 サポートしたばかりの最初の年は最下位でした。 ひとつ感じたのは我々が胸スポンサーに入ったことで潮目が変わったっていうかね。
やっぱりそれまではヴァンフォーレはダメだろうって皆思ってたし、私も半ばそう思っていました。でも、我々が胸のスポンサーについて雰囲気や空気が変わったっていうかね。
「はくばくがついたんだったら何とかなるんじゃないか!」みたいな空気を感じました。
その空気や、はくばくさんがついたならばっていう呼び水になったのが我々の1つの成果だと思うんですよ。その時は皆ネガティブだったから。
――もうチームがなくなるのではっていうところまで追い詰められていた時期がありましたもんね。
長澤 当時はみんなちょっと距離を置いてましたよね。今だとヴァンフォーレって完全にメディアじゃないですか、非常に良いね。その当時はボロボロですからね!
その当時に胸スポンサーに付くってことに関して、うちの会長(親父)に報告したらまず最初に「お前大丈夫か!?」って言われました。
どういう意味かというと弱いチームに「はくばく」って付けてうちのブランドイメージ悪くならないかって言われたんですよ。「まぁ、大丈夫でしょ!」って返しましたけど。
――そこから上がったり、下がったりしたこともありましたけど、どんどんヴァンフォーレの名前は知られていくことになりましたね。
長澤 特に圧巻なのはJ1に上がることを決めた2005年です!
――柏レイソルとの入れ替え戦は私もよく覚えています。
長澤 第1試合目は試合終盤の盛り上がっている時にスタジアム全体の電気が消えちゃうっていうあり得ないハプニングもありましたけど、良い試合でしたね。
――2試合目も凄い展開でしたよね!
長澤 まさかあんな展開になるとはね。
――バレーがたくさん点取ってましたよね。
長澤 2試合目は6点取ってたね!! あの時のヴァンフォーレの予算規模は6億とか7億とかですよ。 そのチームがJ1に上がるとは思ってなかったしね。
その当時に海野さんが「今年は上がらない方が良い、来年が良い。」とか言ってて。 私は「そんな来年が絶対に行けるとは思わないから今年行った方が良いですよ。」って言ったんですよ。
そしたら「いやいや、まだうちはそういうレベルではないんだ。」とか言ってました。 結果、J1に昇格し、川淵さんが来て「僕が生きてる間にJ1行くとは思わなかったよ。」って仰ってました。
――本音だったんでしょうね(笑)
長澤 そこまで言わなくて良いんだけど。って海野さんは言ってたけど(笑)
――2006年にJ1に昇格して社内も盛り上がりましたね!
長澤 そうそう当時、ちょうど翌年用(2006年用)の会社の新しいCMを用意してたんですよ。J1昇格にピタッと合ったんだよね。昔はちょっと子供っぽいロゴだったんですよ。
それをちょうどこの今のはくばくのロゴに変える事に決めていて。 J1に上がってくれたからメデイアとしての価値が全然違うじゃないですか!バッチリだなって思って。そういう所も嬉しかったですけどね。両方いいタイミングだな~!って思いましたよ。
――自分達の会社がJ1のチームをサポートしてるって社員の皆さんは誇りに思っているんじゃないですか?
長澤 そう思っている人は多いと思いますよ。段々誇りというか我々の責任みたいになってる気がするんですよ。なんて言うのかな。うちが支えなきゃいけないみたいな。もう外れることは出来ないなと思ってますよ。単なるスポンサーじゃないからね、うちは!
――家族みたいなもんですかね?
長澤 そうですね。お互い刺激をしあって、切磋琢磨してね。 「お互いが競争する関係だ!」って私が良く言うんですけど、ヴァンフォーレが先にJ1に行っちゃったけど、うちはまだ地方の山梨県のメーカーじゃないかと。日本のはくばくになる為に頑張ろうって刺激を受けていますよ。
――すごくいい関係ですね。
長澤 不思議な関係ですよね。こういうスポンサーって他のチームでもあんまりないと思いますよ。
――Jリーグを観てきたからというのもありますが、私の中でもヴァンフォーレ=はくばくっていうイメージは凄くありますね。
長澤 特殊な位置づけですよね。15年やってる中で胸スポンサーから1度背中のスポンサーにまわったことがあったんです。もっとうちの会社よりも出す所があったら当然「胸スポンサー」はそこの会社にやってもらった方がヴァンフォーレの為にも良いと思うし、本当は残念だけども、うちは成長スピードに負けたってその時にそういう話をしたんですよ。
ヴァンフォーレはそれだけのお金を貰えるチームになったけど、うちは出せなかったんだ、うちの成長スピードが負けたんだっていうね、説明をしたんですよ。それが結構ブログで反響を呼んだこともありました。
――でも1年でまた胸スポンサーに返り咲きましたね。
長澤 結果的にはまたうちが戻ってきたという感じで。今後もそういうスタンスでいますけどね。うち以上にお金を出してくれる企業が現れれば背中で良いですよと。うちはそういう存在ですから。うちが出す金額も決まっているしそういう感じなんですよ。
――すごく良い信頼関係ですよね。
長澤 そうですね。ヴァンフォーレのスタッフの方から「はくばくさんは何かうちを使ってもっとPRなどやった方がいいんじゃないですか?」って言われるんだけど、うちはそういう事よりも、ちゃんと支えてるってことに価値があると思うので。
またある広告代理店に言われた事もあるんですよ。「もっとはくばくさんはヴァンフォーレを使ってもっと要求していった方が良いですよ。」って。
なんかスポーツマネジメントを学んできた方みたいでアドバイスしてくれたんですよ。 でも、そういう事を言い出しちゃうと本当に大事な価値を見失うじゃないですか。
うちがヴァンフォーレを利用して、何かしようとかないから、逆にこの活動が価値を持っているのであって、それをうちがやろうとしたら普通のスポンサーと一緒になっちゃうと思うんですよ。
それが縁の切れ目で、じゃあ利用してもらったらおしまいとか、そういうメデイアとしてのお付き合いになっちゃいますしね。
そことは一線を画すっていうのが私は大事だと思うんですよ。 一見なんか損しているように思えるかもしれませんが、そういうところはやらないことが実は価値があると思うんです。机上の勉強ではそういう事はないでしょうね、スポーツマネジメントの学校ではそういうことはないでしょう。
――数字とか費用対効果などの話になりますもんね。
長澤 そうなるよね。なんか計算するとね、うちは割に合わないらしいんですよ(笑) うちのやっている事は。うちは全然合っていると思ってるんですけどね。数字などそれ以外の目に見えないもの、今日だってこうやって取材に来てもらえたのもそういう事だと思うんですよ。
vol.5に続く 7月3日公開予定。
取材協力/株式会社はくばく
写真/菅優樹
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