キングギア発起人金子達仁氏×ビンテージスパイクコレクター小西博昭氏が「西ドイツ製PUMAスパイク」を語る(最終話)
PUMAビンテージスパイクの試し履きをする金子氏とスパイクを持参した小西氏。2人は最後まで熱狂しながら、PUMAのスパイクについて語り合った。
Hidemi Sakuma
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2018/12/14
小西:雑誌の中の世界だけでしたもんね。
金子:ですよね。実際に履いているのを、日本で見たことがなかったですもん。
うわー、スフィーダは?
小西:一応持っていますけど、あれは90年台半ばまであったと思うんで、国内モデルですから探せば見つかると思います。
金子:(その頃の)海外モデルは?
小西:90年代になってくると、キングなども、それまでとは全く違うものになってきます。ウエストジャーマニーに洗脳されているので、ジャーマニーだとあまり欲しいと思えないんですよね。
金子:いやー、一応ジャーマニーならいいじゃないですか。
小西: (90年以降)PUMAがジャーマニーで作ってる期間は短くて、それからは(東欧など)他国で作っていますから珍しいですが、どうしてもマラドーナがというのもありますので(注1)。
(注1)右4つは西ドイツからドイツになる頃のプーマスパイク。多分左端のような、つま先2枚革のモデルがなくなり、スフィーダに似た独特の曲線ステッチが入ったつま先1枚革となる。ソールもそれぞれ微妙に違うが、詳しくは小西氏がいずれご紹介する予定。
ところで、金子さんの今日の靴もかなりレアだと思いますが、どちらで購入されたのですか?
金子:(欧州にいた頃)ドイツのヘルツォーゲンアウラッハに暇さえあれば行ってましたんで。
何より嬉しいのが、(ボルシア)メンヘングランドバッハがロットから(その後、カッパになって)PUMAに戻ってきますからね。このチームが僕のプーマの原点ですからね。
いやー、凄いなー。手入れをされてるんですか?
小西:数が多くなって、そんなにしていないです。ミンクオイルを少し塗るくらいでして。
金子:何足あるんですか?
小西:スパイクだけだと100足はあるのかな(コラムを書くようになり現在もさらに増加中…)。
金子:うー、わー。
小西:あのー、PUMAばっかりではなくて、最近は西ドイツ製なら結構集めちゃう癖があるので(理由は4話で触れております)、そのあたりが結構増えちゃって。
金子氏が全てのスパイクを履いた後、さらにマニアックな話と、著書「神に愛された西独製サッカースパイク」についての話となる。
金子:あの本は、本当に歴史的意味を持ってきますよね。
小西:有難うございます。まあ、もともと古い物の話なので、(これ以上)廃れることはないのかなと。
金子:なぜタイトルを、「Love Puma」みたいにわかりやすいものにしなかったんですか?
小西:ご存知だとは思いますが、本のタイトルは(許可を得ないと)固有名詞を出してはいけないとかで。はじめは「マラドーナのスパイク」だったんですが、却下されたので逆に(内容がわからない)無難な名前になってしまいました。「神が」というのは自分で考えたのではなくて、出版社の方からの提案であのような名前になってしまったんです(注2)。
金子:編集者が狙いすぎて、狙っているところに行ってないようなタイトルですよね。
小西:いやー、(このタイトル名は)本当にこっぱずかしいんですけど、まあしょうがないのかなって感じです(笑)。
金子:「PUMA LOVE」とかであれば、書店ですぐ手に取っていましたね。 小西さん、これからキングギアで書いてくださいね。
小西:はい!ありがとうございます。
金子:書いていただいて、昔のモデルをコレクションするというオーソリティーになっていただきたいですね。
小西:いやー、世の中上には上がいますので、私で良ければ。
金子:はい。上には上がいるかもしれませんが、僕らは知らないですから。
小西:西ドイツ製モデルしか詳しくないですが、私で良ければぜひお願いします。 金子:是非とも、このジャンルを育てたいなと。
(注2)自費出版本を出すのはかなり苦労したとのことだが、出版後には多くの方々と交流ができたという。重版をする場合に、金子氏に帯の推薦文をお願いをする予定だそうだ。
(話はまだまだ続いたのですが、最後はディープな神ネタで締めたいと思います。)
金子:僕がサッカーダイジェストに入れたのは(ジャンルカ・トト)冨樫さんのお陰ですからね。
小西:マラドーナの青い本あるじゃないですか(注3)。あれが(昔から)バイブルみたいなものでして。それも自分の本に載せたかったんですけど、著作からのコピーもダメなので、いまも時々眺めて勉強しています。
金子:1分足りとも取材してないですけどね。 小西:え、そうなんですか。あの本の写真は87年頃なんですけど、マラドーナがPUMAを黒く塗っていまして。
(注3)海外サッカージャーナリストの草分け的存在だった富樫洋一さんの名著。遺作になってしまったのが大変惜しい。絶頂期の神に密着取材できた(してなかったのか?)唯一の日本人かもしれない。この本を読んでサッカーがうまくなるとは思えないが、神の独特の感覚が随所に書かれている。ほとんどの写真の神は黒塗りしたSPAキングを履いている。
金子:セビージャにいた時は、アディダスでしたしね。
小西:ランバードの時もありましたし(こちらをご参照下さい。http://king-gear.com/articles/918)。
金子:87、8年ですとコーヒーのノバとの契約で、そこでミズノが接触したんでしょうね(注4)。
(注4)日本での神ご出演CMその1。プーマ(左)。ノバ(右)。左では手にしているマラドーナスーパーを履いてオーバーヘッドを披露し、右は86年W杯頃海外で撮影され、ベルトマイスターか、マラドーナプロ1を履いていたみたいだ。
小西:海外でロケをした時にはベルトマイスターに近いものを履いています。実は富士ゼロックスのCMでは、パラメヒコが出て間もない時に、ちょっと変わった白シュータン(のスパイク)を履いて出演したみたいで(注5)。
金子:うわー!全然僕それ知らなかった。
(注5)写真家・今井恭司さんの写真集「写蹴」に富士ゼロックスのCM撮影中の写真がある。神の素足(それも左)が写っているのは凄い(拝まないと…)。この時のスパイクは一部しか写っていないが、「DESIGN PUMA…」とシュータンにあり、パラメヒコのように見える。しかし、つま先部分は違うようだ。
小西: 2005年にナポリでマラドーナ博物館というのがあったんですが、そこに飾られたものが、おそらくその時のモデルだと思います。そんなの見てるの僕だけだと思いますが…。
金子:いやいや、キングギアのネタであげてくださいよ(注6)。
(注6)注5下のスパイクは87年頃発売されたコンガというモデルのようだ(左上)。ゼロックスの撮影後に持ち帰った物かはわからないが、実際にトレーニングで使っていたり(右)、博物館に展示する(左下)までご自分で所有しているので、お気に入りだったみたいだ。パラメヒコと同じくかかとに白いワンポイントがあるが、パラメヒコとはつま先もかかとも構造が異なる。
小西:(幡戸選手のサイン入りパラメヒコを手にして) この頃(80年代後半)も西ドイツ製をメインで履かれていましたが、(日本製との違いが)1番よく分かるのがここなんですよ。(日本製は)白いこれがあるので、おそらくコンガっていう日本製モデルをセリアAの時も少し使っていたと思います(注7)
金子:えー!
小西:おそらく(日本での撮影の時)これがいいと思って、イタリアでも履いていたのではないかと想像しています。
(注7)ナポリ時代にもかかとに白いワンポイントがあるスパイクを履いている(左)。91年頃、トレーニング中にパラメヒコらしきスパイクを使われたこともあるようだ(右)。
金子:小西さんは、PUMA JAPANよりも凄いかと。
小西:いえいえ、スパイクに関しては、あまり残ってないみたいでして。
金子:へー。はー。感服だー。いやー嬉しいです。SPA KINGがあるとはなー。しかも白ベロの。 こうなってくると、バイスバイラーモデル、フォックツモデルが欲しくなってきちゃうよなー。
小西:PUMA JAPANはフォックツモデルは所持されています。固定式でソールが劣化して、剥がしてから、貼り替えた状態でしたね(こちらをご参照くださいhttp://king-gear.com/articles/835)
金子:小西さん、私締め切りがありますので、今日はここらへんで。
小西:あ、はい、(本に)サインをいただけますか。 金子:さ、サイン?
金子:ありがとうございます。今後ともKING GEARで宜しくお願いします。
小西:ありがとうございました。またぜひ、宜しくお願いします。
ー最後に、対談を終えた小西氏よりー
今更ですが、対談のおかげで往年の名選手のギアについて紹介する機会を得ることができ、大変有難い限りです。 これからも昔の名品スパイクのことを多くの方に知ってもらえればと思います。 (了)